松島の雲居和尚、夜半に山中を通られ候を、山賊出でて捕へ候。雲居申され候は、「我は近辺の者なり、遍参僧にてはなし。金銀は少しも持たず、欲しくば着物をやるべし。命は助けよ」と申され候に付、「さてはむだ骨折したり、着物などは用事なし」と云ひて通し申し候。一町ばかり行過ぎて雲居立帰り。山賊を呼返し、「我妄語戒を破りたり、銀一つ前巾着にあるをうろたへて忘れ、銀子これなしと申し事、是非に及ばず候。即ち遣はし候間取り候へ」と申され候。山賊感に絶え、則ち髻を切り、弟子になり申し候由。〔聞書第十〕
(松島瑞巌寺の雲居和尚が、夜中に山中を歩いていたところ、山賊があらわれて取り囲まれてしまった。
和尚は、「わしは近くの者で、旅僧ではないから、銭はまったく持っておらぬ。欲しければ着物をやろう。命は助けよ」
といったので、賊は、「これは骨折り損であった。着物などに用はない」 といって通した。
ところが、雲居和尚は一町ほど行ってから立ち戻り、山賊を呼び返した。
「わしは妄語戒を破ってしまった。あわてていたので、腰にさげた巾着のなかに銀銭が一粒あるのを忘れ、銭を持たぬとうそをいって、すまぬことをした。これをやるから取るがいい」
山賊たちはこれを聞いて感激し、もとどりを切って弟子になったという。)
<出典:「続 葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
なにを馬鹿げたことを
そういう声が聞こえてきそうです
いまの世の中、悪は悪として割り切り、成敗すべしとなりがちです。
しかし、善悪は人が決めたこと、大自然、天道は何も差配していません。
小魚を食らうシャチや鯨は悪党の一味でしょうか。
善だ悪だと言いつつ生きとし生けるものの命を糧とし、何事もなかったように日々を過ごしているのは私たち人間です。
ここに出てくる山賊も
生まれつきの泥棒ではなかったはず。
已むに已まれず
山賊としてしか
生きる道がなかったのかもしれません。
現代でも、罪を犯す人の動機の大半は小さい頃の家庭環境から生じているとのこと。
誰も進んで自分の身を傷つけたり、人を傷つけたりはしないものです。
そういう環境で育つことで、自然とそうなってしまうようです。
山賊にしてもそう。
和尚は、欲しいものが一切手に入らない山賊をかわいそうと思い、哀れで仕方なく、何か施しをしてあげようと考えたのではないでしょうか。
となれば、自己の都合で善と悪を切り分ける考え方と比べて、その視座はずっと高い位置にあるということがわかります。
人間で構成され人間が形作る社会、その本質を突いた対応として伝わってきます。
寛容な社会を
そういう声が聞こえてきますが
単に寛容になれというだけでは
納得する人は多くないでしょう
視点の高低
幅広い観点
奥行きある配慮
そしてそのとき
なにを成すか
心の広さと思考の柔軟さ
これを身に付けてこそ
真に寛容な人間社会が
形作られるのでしょう