当然あり、自然あり、偶然あり、君子は其の当然を尽し、其の自然に聴せ、而して偶然に惑わず。小人は偶然に泥み、其の自然に払って、而して其の当然を棄つ。噫偶然なるもの得べからず。其の当然なる者を併せて之を失ふ。哀しむべきなり。〔應務〕
(人間のできた人は自然の法則をよく研究し、そこから人間としてどうしなければならぬかという当然を尽くして、そうしてたまたまその知識が及ばないで思いがけないこと、つまり偶然が起こっても、それは実は必然であり、当然なのである、自然に対する研究が足らなかったからわからなかったのであると考えて、その偶然に惑わない。ところが小人はそこまで徹しないから、偶然にとらわれ、自然にもとって、そうしてわれら何をなすべきやという当然を棄ててしまう。それでは偶然というものがわからない。しかしながらその小人のなずむ偶然は文字通り偶然で、これは予めわからぬものであるから、かなしい不安なものである。)
<出典:「呻吟語を読む」安岡正篤著 致知出版社>
自然の働きとは
天が為すことであり
天道の行いです
これをよく知れば
人が為すべきこと
人道としての行いが
当然ながら見えてくるはずです
人として行うべき、この当然をきちんと行っていくことが大切です。
なぜなら、その上で偶然が起こっても惑わされないからです。
また、それを智恵にしていくことができれば、それこそ賢明な生き方になるからです。
一方、小人は偶然に驚き、恐れ、逆に喜び、期待し、自然の働きを知ろうとしません。
そして、人として行うべき当然さえ軽んじます。
“ 当然 ” を考えるとき、『大学』は教えてくれます。
「是の故に君子に大道有り。必ず忠信以て之を得、驕泰以て之を失う。財を生ずるに大道有り。之を生ずる者衆く之を食する者寡なく、之を爲る者疾く之を用うる者舒なれば、則ち財恒に足る。」
(そこで君子に歩むべき大道がある。必ず忠信(まこと)の心を以て実践することによって高い地位は得られるが、おごりたかぶり、そしてなまけることによって、折角得た地位を失うことになる。財を生ずるにも大道がある。生産する者が多く、これを消費する者が少なく、生産をはやくして消費をおもむろにすれば財は常に足るのである。)
<出典:「『大学』を素読する」伊與田覺著 致知出版社>
自然の働きからすると
とても単純で当然であることに
改めて気づかされます
偶然は生じます。
僥倖としての偶然を自分だけの必然と思いたい・・・
この気持ちを平凡な小人から切り離すことは難しいでしょう。
かくいう私も、いまの小さな人間力のこの身に僥倖が降りかかったらどうなるかわかったものではありません。
幸運と思える偶然が来た
もはや杞憂や恐れなどない
驕り昂り怠け続けても大丈夫
消費と快楽に耽る贅沢三昧の生活
幸運の顔をした破綻からの使者
救いは
処し方次第で実りにできること
逆に、悲愁や辛苦という偶然が降りかかってきたとき、絶望でしゃがみこむに留まらず、踏ん張って立ち上がり、自らの教訓にできたとしたらどうでしょう。
その悲しみを受け止めて自然を知る
その苦しみを受け止めて試練を知る
己を修練し続けて新たな知恵を得る
改めて “ 当然 ” を行っていく
“ 当然 ” の領域が広がってゆく
それでも謙虚に
それでも忠信に従い
勤労に励み多くを生み出し
日々を大切に丁寧に過ごす
「苦労した人が人生の花を咲かせることが多いのはなぜ?」
この問いに対する答えでしょう
自然から道理を学び
当然の行いを為して
偶然をも教訓とする
― “ 大道 ” をゆく―