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COLUMNSブログ「論語と算盤」

善心の刀

2023年7月4日

ある人いふ、意地は内にあると外にあるとの二つなり。外にも内にもなきものは役に立たず。たとへば刀の身の如く、切れ物を研ぎはしらかして鞘に納めて置き、自然には抜きて眉毛にかけ、拭いて納むるがよし。外にばかりありて、白刃を不断振廻はす者には人が寄り付かず、一味の者無きものなり。内にばかり納め置き候へば、錆も付き刃も鈍り、人が思ひこなすものなりと。〔聞書第二〕

(ある人のいったことであるが―。

 意地というものは、心の内に秘めておく場合と、外にあらわす場合とがある。内だけでも、外だけでも、ともに役に立たない。

 たとえば刀のようなもので、ふだんはよく刀身を研ぎすまして鞘に納めておき、ときには抜いて手入れし、よく拭ってまた鞘に納めるのがよい。抜いてばかりいて、いつも白刃をふりまわすような者には人が寄り付かず、味方もなくなってしまうであろう。だが、いつも鞘に納めたままにしておけば、錆がつき、切れ味も鈍くなり、人から軽蔑されるようになるものだ、と。)

<出典:「続 葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

 

 

意地を張ること

 

 

 

あまり褒められません

 

偏屈者へんくつもの狭量きょうりょうな奴と見られがちです

 

 

 

 世間を見渡すと意地を張る人が少なくなったように感じます。

 

時代の流れとともに、人が大人しくなってきているようです。

 

弱者を救うためには、暴力や狼藉ろうぜきを排除する必要があるため、仕方ないのかもしれません。

 

 

 しかし、確かに「弱きを助け」の社会に近づいている様子ではあるものの、「強きをくじく」力がどんどんえてきていませんか。

 

 

 

 

世の流れに従順になろうとするのは危険です。

 

大勢たいせいに従うのなら

誠実さや正直さを少しずつ

犠牲にしていくしかありません

 

人からの非難を避けようとするなら

心の隙間に邪悪が入り込みます

 

やがて自己保身が過ぎて

飛んでくる火の粉を避けようと

盲目の如く悪党のしもべとなります。

 

 

 

「パスカルは “ 正義が強いか、強い者が正義か、正しい者が強くなるか、強い者が正しくなるか、より外に人間は救われない ” と言うておりますが、救われるためにはどうしても善人が強くならなければいけません。強くなるためには、感情的・感傷的にならずに、線が太くならなければいけません。」

<引用:「安岡正篤一日一言」安岡正泰監修 致知出版社

七月十七日より>

 

 

 

黙って大勢に従うのは邪悪です

 

人物の線を太くして

善心ぜんしんの刀を磨き続けなければなりません

 

 

 

 

なんとなれば

~ 優しくなければ生きていく資格がない ~

 

とする前提は

 

~ 強くなければ生きていけない ~

なのですから

 

<レイモンド・チャンドラー(米国人作家)>

 

 

 

善心の鞘に納めている刀

 

錆びついていませんか