學を爲せば日に益す。道を爲せば日に損す。之を損し又損し、以て無爲に至る。無爲にして爲さざる無し。故に天下を取る者は、常に事無きを以てす。其の事有るに及んでは、以て天下を取るに足らず。
(世俗的な学問を修めれば、知識だけは日々に増える。それに対してほんとうの道を修めれば、毎日毎日、自分の知恵、聡明さ、そういうものを減らすことができる。
智恵、聡明さ、そういうものを減らしに減らし、何もない、ぼーっとした状態になる。そういう状態になれば、何もしないようでいて、実はあらゆることをしていることになる。
だから、昔の天下を取った人は、意識をしない、無心であってはじめて天下を取り得た。何か意識して行動しようとすれば、それでは天下は取れない。)
<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>
今の学問、それは知識を増やすこととなっています。
考え方ややり方を憶えたり、用語や年代を記憶したりと。
ところが近年、どうやらAIがそれらをカバーするようになってきています。
このAIは人類の脅威でしょうか。
確かに文明として培ってきた範疇においては脅威かもしれません。
しかし見方を変えれば、AIの発達は、人間を本質的な生き方に還してくれるきっかけなのかもしれません。
表面的な知識などに惑わされるのではなく、人間が生まれたときから持っている、心の奥底にある“ 道 ”としての生き方、そこに還してくれる働きがあるのでは。
知識や技術
そのようなものを減らすこと
それによって無心になれる
それがすなわち
全てのことを成す力
振り返ってみると、世の中を変えるような働き、革新的な働きは、計算して生み出されてはいません。
無謀とも思える挑戦
無駄とも思える検証
真実を探し出す熱意
これらを積み重ねた上で、初めて成されたことばかりです。
無心になり
内なる心
素の心で生きる
これが“ 道 ”を生きること
昨今、人生の質的要因や仕事への取り組みに対して、あるいは幸せそのものや理想的な人生について、一つの価値観で統一しようという風潮が見られます。
自由な生き方を束縛し、作為的な方法論で押し付けようとすることは知識の乱用です。
人間の本質的な部分を無視し、論理的に筋道が通るからと言って、強制してはなりません。
これに反論できるのは、自分の心に従って生きた経験のある人だけであり、そうでない人は反論する根拠がありません。
行き場のないやるせなさを感じる人々が増えると、後年、反発や反乱がおきることは必至です。
知識で塗り固めた小手先芸は
文明を発達させるでしょう
無心となる“ 道 ”の生き方は
文化を育みます
文明はやがて
廃れる運命にあります
文化は
人間の本質から生じており
廃れることはありません