学者の大病痛は只是れ器度の小なるなり。〔問学〕
(学者の一番の弱点は器度(人物のスケール)が小さいことである。)
人の上となる者は最も器局の小、見識の俗なるを怕る。吏胥・輿皁(皁は皂に同じ)も侭能く人を笑ふ。慎まざるべからざるなり。〔治道〕
(人の上に立つ者は人物の小なること、見識の俗なることを最もおそれる。教養や見識をもたぬ小役人や駕籠舁人足でも人を(批評して)笑うことはよくあるものである。だから人の上になる者はよく慎まなければならない。)
<出典:「呻吟語を読む」安岡正篤著 致知出版社>
人物の器の大きさ
言葉で説明せよと言われても難しいものです。
しかし反対に、器が小さい、スケールが小さい人を考えると説明しやすくなります。
例えば、他人の意見を聞かない、排他的、他人を批判する、よくしゃべる、理屈が中心、物知り、派閥を作りつるむ、保身を重視する、ほどほどに留まる、白黒つけたがる、お金にセコい、など。
自分を守ろうと、知識や理論を武器として身に付けて、そして事あるごとにそれをひけらかし、お山の大将になろうとする(マウント を取ろうとする)。
理屈や知識で負けたときは、卑屈になっていじけるような人。
肌感覚でなら、「その人の部下になりたいか、その人と一緒に仕事したいか」という問いで判別できるのでしょう。
安岡師は書の中で、
「学者や技術者は独りよがりになりがち」で、「社会的仕事、特に治人の地位にはうっかり据えられない。」とのこと。
やはり長たる人というものは、枝葉末節に拘らず、短期と長期の両面の視点を持ち、多面的かつ立体的に物事を捉える人でしょう。
そして判断、決断の基準は、心の奥にある“真心”、“誠心”です。
これこそが天から与えられた
“人”の能力
それを開花させてこそ
天道に沿う自然な生き方
自分が学んだ他者の知見を
まるで自分が見出したかのように陶酔し
気がついたらそれに踊らされている猿回しの猿
さらに書は
「従ってつい最近までは行政界とか実業界等においてはその責任者・経営者にあまり学者や技術者を使わないという風があった。この頃では学者・技術者上がりでも大臣になったり長官になったりあるいは社長や重役になったりする人が随分多くなってきました。
みんな機械化して似たり寄ったりになったということは、ある意味においては進歩したといえるし、ある意味においては退化したといえなくもないわけで、まことに複雑なものがある。」
と。
いかがでしょう
少なくとも
器の大きい人物になろうと
一歩一歩修練していく
そんな日々が
有意義で生きがいある人生を
紡ぎ上げるのでは