子、子産を謂う。君子の道四有り。其の己を行うや恭、其の上に事うるや敬、其の民を養うや恵、其の民を使うや義。
(先師が子産(鄭の名太夫)のことを評して言われた。
「為政者の守るべき道が四つある。第一は、自分の身の振舞いをうやうやしくすること。第二は、上に事えては慎み敬うこと。第三は、民を養うには、慈しみ且つ恵み深いこと。第四は、民を使うには、道義に適って公正であること。これらを実践されたのが子産である」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
為政者
政を為す者
上に立つ者
その役割は極めて大切
しかし、だからといって、その為政者が尊敬に値する人物でない限り、従う者は居ません。
大切なことは
民衆が貴ぶ者こそ為政者であり
民衆に阿るような者は不適格ということ
為政者自らが
正しい姿勢で
正しい考えで
正しく役割を
果たしていく
これが大前提
天道を踏まえているか
その上で人道に沿っているか
自らを磨く心ある人なら、それを容易に判別し、見抜くことができます。
だからこそ、為政者の振る舞いは極めて重要となります。
帝王学の教科書として知られる
東洋古典の『貞観政要』
君主としてのあり方や考え方を明確に記した貴重な史料であり、またこの時代が泰平の世であったことが、その適切さを証明していると言えます。
「君道 第一」の冒頭、「君主たるの道」において、為政者のあり方を明確に述べています。
貞觀初、太宗謂侍臣曰「爲君之道、必須先存百姓、若損百姓以奉其身、猶割股以啖腹、腹飽而身斃。若安天下、必須先正其身、未有身正而影曲、上治而下亂者。朕毎思傷其身者不在外物、皆由嗜欲以成其禍。若躭嗜滋味、玩悅聲色、所欲既多、所損亦大、既防政事、又擾生民。且復出一非理之言、萬姓爲之解體、怨讟既作、離反亦興。朕毎思此、不敢縦逸」。
(貞観年間(六二七~六四九)の初め、皇帝の太宗が側臣に向かって言った。
「君主たるの道というものは、必ずやまず民衆を憐れまなければならない。
もし民衆を損なって、君主の身に奉仕させようとするのであれば、それは自分の股の肉を割いて自分で食うようなものだ。満腹になっても、死んでしまうであろう。
もし天下を安泰にしようとするなら、君主は必ずまず自分の身を正すべきである。身が正しいのに影が曲がっていたり、上が治まっているのに下が乱れたりすることは、いまだかつてなかった。
私はいつも、自分の身を損なう要因は外からのものにあるのではなく、災いはみな自分の欲望によって起こると思っている。もし美食に耽り、音楽と女色を喜んでいれば、欲するものを多く手に入れたとしても、費用もまた大きい。
それは政治を妨げ、人民を乱すことになる。そのうえ、道理に外れるたった一言を吐けば、万民はそれによってバラバラとなり、怨嗟の声があがり、国への離反がおこる。
私は常にこう思うので、安逸に暮らそうなどと思ってはいられないのだ」。)
また、「誠信 第十七」、「水源が濁れば川も濁る」では、道理を踏まえることの重要性が記されています。
佞臣(皇帝に媚び諂う臣下)を朝廷から排除するように願い出た者がいた。
皇帝太宗が、佞臣をどうやって判別するのかを問うと
「陛下にお願いしたいのですが、怒ったふりをして臣下たちを試してほしいのです。もし陛下の怒りを恐れずに、自分の信じる意見を直言すれば、それは正しい臣下です。陛下の気持ちに従って阿る者がいれば、その者が佞臣です。」と答えた。
対して太宗は、次の言葉でもって、この提言を却下します。
「流水淸濁、在其源也。君者政源、人庶猶水。君自爲詐、欲臣下行直、是猶源濁而望水淸、理不可得。」
(川の水が清いか濁っているかは、水源によって決まる。君主は政治の水源であり、人民は川の流れのようなものである。君主自身が噓をついて、臣下に正直であってほしいと願うのは、まるで水源が濁っているのに、水の流れが清らかであってほしいと望むようなもので、道理に合わないであろう。)
民主主義は守っていくべきです。
誰でも自由な生き方を選択できること
人々はそのための義務を果たす
弱者を助け人権を守ること
そして暴力を用いないこと
しかし今の日本は
都合の良いところをだけを得ようとしていないか
自責を避けて他責にすり替え
自身の義務を果たしているのか
まずは
為政者としての「あるべき姿」を
示すことができる政治家
それを国民一人ひとりが望むこと
そしてそれを要求していくこと
この国の行く末は
外ならぬ私たち一人ひとりの
生きる姿勢
その真剣さと真摯さで定まるのです