戸を出でずして天下を知り、牖を窺わずして天道を見る。其の出づること彌遠く、其の知ること彌少なし。是を以て聖人は行かずして知り、見ずして名づけ、爲さずして成る。
(天下のことは扉から外へ出ずとも知れる。それは人情、物の道理が一つだからである。
天の法則性は、窓から外を見ずとも知れる。
それをいちいち外へ出向いてでないとわからないと、そう思うならば、遠くへ出れば出るほど、その知識はいよいよ小さく限られたものになるであろう。
だから聖人は、外へ出ていかずとも物を知る。いちいち対象を見ずとも、それに定義を与えることができる。いちいち手をくださずとも、ものごとを完成させることができる。)
<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>
天道と人道は一つ
外に出なくとも
法則性を知ることができるとのこと
多くの人は、何を探すべきか、その対象がわからないまま、何かを探そうとしているのではないでしょうか。
腰を据え、心を無にし、自らと対峙し、天と語り合うことで、大事な法則が見えてくるのでしょう。
二宮尊徳の、桜町における有名な救荒の話があります。
天保四年(1833年)、梅雨どき初夏、二宮翁が茄子を食べたところ秋茄子の味がしたそうです。
これはただごとではないと気づき、今後の天候不順、凶作の可能性を感じ取りました。
そこで翁は領民に、租税を免除するので一戸ごとに畑一反歩ずつひえを作り、凶荒への備えをするようお触れを出しました。
しかし領民は、いくら翁の言い分でもひえなんて食べたこともないし、そもそも凶年になるかどうかも分かったものではないと嘲りました。
ただ、租税を免除してでも作らせるということから、命令違反の咎めもあろうと、しぶしぶひえを蒔いたのです。
ところがその後、翁の予測どおり、真夏でも冷気がみなぎり降雨も止まず、まさに凶年となったのです。
多くの地で飢饉となりましたが、桜町は蓄えたひえのおかげで免れることができ、領民は翁の知徳を讃えたのです。
また、その3年後にはさらに厳しい冷夏が訪れ、はなはだしい凶年となり、餓死者もおびただしく生じましたが、翁はこれも予測し、引き続きひえを作って貯蔵していたため、桜町の被害は軽微なもので済みました。
翁は、天道の循環の法則性として、早くて30~40年、遅くて50~60年周期で凶荒がくることを認識しており、茄子の味からそれが当年と確信し、速やかに行動を起こしたのです。
特段、全国を巡回して異変に気付いたということはなく、自らが住む地の茄子の味から、変化の兆しを嗅ぎ取ったのです。
他方、人情の面においては、老荘思想と相容れない関係にある儒教、中でも四書の『大學』に同じような考え方が記されている点は興味深いことです。
君子は家を出でずして、教を國に成す
孝は君に事うる所以なり
弟は長に事うる所以なり
慈は衆を使う所以なり
(君子は家に在っても国人を教えることができるのである。
親に孝行を尽す心が君主によく事える本になる。
兄や姉に従順であることが、世に出て年上や上司によく事える本になる。
妻子を慈しむ心は、民衆をよく使う本になるのである。)
あれもこれもと知識を増やそうと手を広げても
根本としての心理を知らねば
全てが無為に期すことになります
僅かな変化や兆しを見逃してはなりません
令和五年、いくつか生じているのでは