Loading

COLUMNSブログ「論語と算盤」

心を誠に

2023年6月6日

心術・学術・政術、此の三者は弁ぜざるべからざるなり。心術は箇の誠偽を弁ぜんことを要す。学術は箇の邪正を弁ぜんことを要す。政術は箇のおうを弁ぜんことを要す。総て是れ心術誠了すれば、別箇ふたつながらたがはず。〔問学〕

(心術・学術・政術の三つははっきりわきまえなければならない。心術、心というものをどう用いるか。その眼目は先程来力説してきたように誠偽の別、何が誠であり何が偽であるかということを弁えることである。学術は正と邪をはっきり弁える。

 政術は王道と覇道とを弁えなければならない。王道は道徳に立つ没我の行であり、覇道は智術に立つ利己の行である。誠偽、邪正、王伯のすべては要するに心の働きを誠にしてしまえば、別れたものは別れたままで両方共に決して矛盾するものではない。)

<出典:「呻吟語を読む」安岡正篤著 致知出版社>

 

 

 

 

誠か偽かを自ら見定める

 

 

 これなくして心の平穏はありません。

 

不満や不平など多くの戯言ざれごとを吐き続け、自身の心の不安定さを騒音で誤魔化してなだめるしかありません。

 

 

 

では “誠” とは

 

それは天道を踏まえた人道を生きること

 

 

 生物の中で唯一、人だけが “心” を与えられており、その心を正しく用いて生きやすくしていくのです。

 

他方の “偽” は、私利私欲を中心として、己のために他を虐げる生き方です。

 

心を正しく用いていない、また用いることができない鳥獣の生き方となります。

 

 

 

学術の正と邪

 

 

 学術はそもそも正しいもの、人の役に立つものでなくてはなりません。

 

邪の学びとは、洗脳のために虚偽を教え込むようなことです。

 

しっかりと見定めて、正を学び、邪を退けねばなりません。

 

 

 

政術の王道と覇道

 

 

 聖賢の王がとるすべが王道

 

民の生活のために、平和な世のために、それを長く継続するために自我を没してまつりごとを行う姿

 

覇道は権力を目的とし、傍若無人に振る舞う支配者の姿

 

民を虐げ、勢力を拡大するために争いを仕掛け、自らの欲に溺れる小人

 

 

 

以上の三項目は、自分の心を誠に置いて捉えることとのこと。

 

 学術が正しくとも、心術が偽なる者は居ます。

 学術が正しくとも、覇道の政術を行う者も居ます。

 

しかし、心術が誠であれば、正しい学術と政術を行えるはずです。

 

 

 

 

注意しなくてはなりません。

 

 

 

情報があふれる現代、虚飾、誇張された事柄に執着してしまうと偽や邪を掴みかねません。

 

 数歩下がって全体像を観察し、

  洞察し、本質を捉えることです。

 

   文明は、大自然の摂理や教えから

    私たちの “心” を遠ざけるものですから。

 

 

 

間延びした隙間に

 

偽、邪、覇道が入り込んで潜みます。

 

 

油断することなく

 

誠、正、王道から

 

焦点を外してはなりません