凡そ事を為すに、意気を以てするのみの者は、理に於て毎に障碍有り。〔晩録二三九〕
(何か事をなすときに、意気込みだけで行う者は、道理において、いつも間違いがあるものだ。感情を抑え、心を落ち着けて着手しなければならない。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
物事は道理に基づいて行われなければ
成就しません
感情や思い付きで着手しても
すぐに頓挫するでしょう
それは、自分がやろうとしていることの意義、道義、大義をつかめていないからです。
感情ではなく、道理に基づいた意思で物事に取り組まねばならないのです。
文政六年、二宮尊徳(通称:金次郎)は、小田原候、大久保忠真の君命により桜町に着任しました。
当時の桜町は荒れ果てており、家の屋根は破れ柱は腐り、人々は破れた衣類をまとう極貧の状態である上に、小利を争い酒と賭博に耽り、人の善事を憎み人の悪事災難を喜ぶという、どうしようもない怠惰な状況でした。
何度も行政官を送り込んで立て直そうとしても手の施しようがなく、悪賢い者に陥れられたり民衆に反逆されたりで、一切の改善ができていませんでした。
そんな中、着任した二宮翁は、四千石の領地についてその境界や流水の利便性を全て把握し、荒地を開き、農業出精の道を教え、さらには一軒ごとの人民の艱難善悪を察し、善人を賞し、悪人をさとして善に導き、貧窮者を撫育するなど、物資と人心の両面から立て直しを図りました。
翁自身も、食事は一汁、衣類は木綿もので身をまとうのみ、睡眠時間は四時間で明け方から夜までの全時間を投じて取り組んだのです。
その神速なる手腕に人々は驚嘆しました。
しかし、悪賢く腹黒い連中は徒党を組んで様々な妨害を企てます。
それに加えて、大久保公が力になればと送り込んだ役人の質が悪く、翁の徳行を妬み、邪悪な領民とつながり、翁が行う仕法を妨害するのです。
ついには、翁の仕法は貧村を滅ぼすものだと大久保公に讒言(事実を曲げた中傷や告口)します。
公は、両者から話を聞いた上で件の役人を処罰しようとします。
ところが翁は、「彼らは君に忠義を尽くそうとしただけであり、やがては私の意中を理解するはず」と進言するのです。
賢明な大久保公は翁のこの意見を大いに称嘆し、役人の讒言の罪を免除し、桜町に帰すこととなりました。
それでも翁は、道理では復旧は疑いないと考えつつ、今後も妨害者の仕業が止むことは無いと危惧します。
そしてその原因は、自らの誠意が足りていないためとし、誠意がゆきとどいたなら天下の何事も成就すると考え決意を固めます。
そして翁は、密かに成田山新勝寺において21日間の断食祈誓に入ります。
君意を安んじ、衆民を救うことを祈誓し、満願のあと少々の粥をすすっただけで、下駄履きのまま翌日には桜町に帰ってきました。
この修行に領民は驚嘆し、悪賢い連中ももはや反抗する気もなくなり、翁の仕法が行き渡ることになったのです。
断食祈誓は、精神論であるとして、疑問視する向きもあるかもしれません。
しかしこの絶対の誠意こそ
幼少から東洋哲学を学んで血肉にしてきた
二宮尊徳の人道としての道理であること
それが強く明確に伝わってくるのです
「君子の行うところは
その一端だけを見て論ずることはできない。」
「君子の行うところは
君子でなければ知ることができない。」
~尊徳の門人の言(報徳記の原著者富田高慶と推測されている)~
<参考文献:『報徳記』富田高慶原著 佐々井典比古訳注 致知出版社>