天下道有れば走場を却けて以て糞る。天下道無ければ戎馬郊に生ず。罪は欲す可きより大なるは莫く、禍は足るを知らざるより大なるは莫し。咎は得んと欲するより大なるは莫し。故に足ることを知るの足るは、常に足る。
(天下に道がよく行われておれば、よく走る馬を軍事に使うこともなく、田圃の耕作に使う。これが道のある状態である。
天下に道が行われない、無道の世の中になれば、軍馬が、戦場となった郊外で子供を産むという、そういう結果になる。
悪は、何かの物を欲しがる、ひたすら物を欲しがるというこれより大きな罪はない。
禍いは、足ることを知らない、満足を知らない、これほど大きな禍いはない。
不幸は、ひたすらに何かを得たいと思う、これより大きな不幸はない。
だから、足ることを知ったものの満足、これは永遠に満ち足りていることである。これは恒久的な変わることのない満足である。)
<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>
道が行われる
それは大自然、宇宙と一体化した人間の営み
道が行われない
それは世の流れから外れていく営み
解説では、戦争は常に支配者の欲望から始まるとのこと
いま、まさにそれを感じさせられています。
独裁者の欲は次々と広がっていき、そしてキリはありません。
そのために犠牲になる、自由、愛、心、命、そして道
しかし一方で、戦争とは、私たち人類の心の澱が生み出しているのかもしれません。
知らず知らずに
一人ひとりが
争いごとを招きよせている
なぜ
それは
足るを知らないから
足るを知らずに
常に欲しがる
なぜ欲しがるのか
将来を見据えた上での危険回避のためか
しかしその行為こそが結果的に自らを陥れる
「九つまでは満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句をいいつづけるものなのだ。自分を顧みてつくづくそう思う、なぜわたしたちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう。」
(三浦綾子 『明日のあなたへ』より)
足るを知らずに欲しがる行為は、自分を貶めていくことにつながります。
求めるべきは、本当の“心”です。
“道”と一緒に、同化して歩む
宇宙と一体化する“心”をもつ
そして永遠に満ち足りる