百姓の凍餒之を国窮と謂ふ。妻子の困乏之を家窮と謂ふ。気血の虚弱之を身窮と謂ふ。学問の空疏之を心窮と謂ふ。天徳王道は是れ両事ならず、内聖外王は是れ両人ならず。〔談道〕
(民百姓が凍え餓えるのはこれは国が窮するのである。妻子が貧乏生活をするのはこれは家が窮するのである。活力が虚弱なのはこれは身体が窮するのである。学問が空疏なのはこれは心が窮するのである。
天徳と王道とは二つのことではない。内面的には聖賢の道を治めて己を深め、外面的・社会的には王道を行う、これは二つの事ではなくて一人の仕事である。
これを誤ると前文のような四窮が生じてくるわけです。この場合の王道の王は社会・民衆の救済を意味します。)
<出典:「呻吟語を読む」安岡正篤著 致知出版社>
我が国の農業は継続して衰退の一途です。
先日、農業法人が増加しているという新聞記事をみましたが、産出量そして技術的にも十分とは言えません。
食料供給力の増強は待ったなしです。
カロリーベースで4割を切るというような現状の食料自給率では、好戦的他国から兵糧攻めで侵略されたら全く無力です。
昭和中期の高度経済成長によって、我が国は第二次産業の力を付けて先進国の仲間入りを果たしましたが、その一方で第一次産業は旧態依然のまま現在に至っている状態です。
農作が停滞し国が窮する、経済的格差から家庭が貧しくなる、人々の活力は覇気無く萎えていく、学力は知識偏重で知恵を育てず空疎という現状、まさに今日の言葉通りです。
もはや21世紀も四半世紀を終了しようとしている現代、もっと思い切った方針転換が必要です。
バブル経済の光と影は、日本の環境を変えました。
同時にそれは人の想像力を弱めてしまっています。
そして今、我が国を取り巻く環境は悪化してきています。
政治家の強いリーダーシップが望まれますが、私たち国民が為政者に依存するばかりなら、望ましい政治家など生まれるはずがありません。
国民一人ひとりが未来を見据えて、創造的精神を自ら創り上げて発揮していってこそ、一国の土台が固められていくのです。
最高の教育を受けた人間も
その後の自己陶冶を缺いては
立派な人間には成り得ない
ごく劣悪な教育も
自己陶冶によっては
なお改善され得るものである
(カール・ヒルティ)
一人ひとり
一人ひとりが
慎独による
自己陶冶で
修練してこそ
平和を守ることができる
そういう社会にせねばなりません。