昼夜には短長有って、而も天行には短長無し。惟だ短長無し。是を以て能く昼夜を成す。人も亦然り。緩急は事に在り。心は則ち緩急を忘れて可なり。
(昼夜には短長があるが、天体の運行は定まっていて短長がない。短長がないから、昼夜を成しているのである。人もまた同じである。物事には緩急があるが、心は緩急に左右されず、いつも平静であるのがよい。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
自分の心は
天の運行と同様に平静であること
大変シンプルですが、人生の核心を突いています。
緩急のある物事に、今日一日を左右されるのなら、恐らく一生左右され続けるでしょう。
他方、その緩急を利用してうまくいったなら、そのときは緩急の世界の中で悦楽に興じることになるでしょう。
しかし一歩足を踏み外すと、逆の目となります。
努力や修養を避けて安楽を得ようと物事の緩急に埋没しても、得られるものは薄っぺらな享楽でしかなく、さらにそれさえ一時的なものです。
多くの人が気付いているはず
しかしながら、このような考えや思考を持つ人が徐々に増えてきている感じがします。
一時的な欲、煩悩の充足のために、人生の時間をあまりに多く費やしていませんか。
そうではなく
心は常に平静にしておくこと
所詮私たちは、自分の力だけで生きておられるものではありません。
もとより、自分の希望する五体で、希望する時期に、希望する場所で生まれてなどいないのです。
偶然か
大いなる存在の意図か
天の計らいか
神の差配か
何かの理由でこの地上に生まれ落ちた一つの生命です。
その理由、使命を知らずして
眼前の事物の緩急に右往左往するだけ
それでいいのか
もしその理由が
取るに足らないようなものであっても
それならそれで
自分の生の意義を探し出し
ガッチリとつかみたくはないか
人は、自分が成長していることを実感できねば、生きる意欲を失います。
右へ左へと物事の緩急に振り回されるだけの経験、煩悩の充足を追い求めるだけの経験からは、成長など感じられるはずはありません。
死ぬまで自分の生の意義を探し続ける
~子曰く、朝に道を聞けば、
夕に死すとも可なり~
(朝に人としての真実の道を聞いて
悟ることができれば
夕方に死んでも悔いはない)
『論語』 里仁第四