人の事を做すは、須らく緩ならず急ならず、天行の如く一般なるを要すべし。吾が性急迫なれども、時有りて緩に過ぐ。書して以て自ら警む。〔晩録二三七〕
(人が仕事をするときは、ゆっくりすぎても急ぎすぎてもいけない。あたかも天の運行のように、自然にするべきである。私は急ぎすぎる性質であるが、時にはゆっくりし過ぎてしまう。そのことをここに書いて自らの戒めとするものである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
若く、活力がみなぎる時代は、仕事をしたいものです。
仕事を覚えたての20歳代など、特にそうでしょう。
仕事の流れが理解できるようになり、覚えた仕事を実践して体得していく時期です。
上手くいかなかったら基本に立ち返り、やがて自分のものにしていくことができます。
そうなると嬉しくて、顧客や上流工程へ積極的に接するようになり、さらなる仕事をいただくことになってきます。
どんどん応えていくうちに、やがて自分の手に余るようになってきます。
好事魔多し
こんなとき、事故や病気に見舞われることもあります。
一旦リセット、素の自分に戻されます。
何とか乗り切って、30、40、50歳代と、量・質・幅が広がる仕事をこなしていっても、どこかでリセットされてしまい、素の自分に返ります。
転勤、転居、結婚、別れ、定年、景気変動、会社の変化など…
私の世代は、バブル崩壊、リーマン・ショック、3.11東日本大震災、コロナ禍などに直面しました。
世の中の景気も、人の心の勢いも、急降下しました。
そしてその度に、素の自分について考えさせられます。
若いか年配かの時期こそ違え、皆、素に戻るときが来ます。
そのとき何を考えるか
出す結論こそ違え
皆同じことを考えるようです。
闇雲に、あるいは焦って次の仕事に就いた人は、日々の充実度は結局変わらないでしょう。
以前と同じ日々となれば、近い将来、また素に戻ることになります。
では、熟慮さえすれば良いのか、何か見出せるのか、過去と違う展開があるのか・・・
そう簡単ではありません。
逆に、仕事をしないという選択をしたなら、その人は遠からずその弊害に気づきます。
なぜなら
仕事にこそ生きる価値があるからです。
自分を修練し、鍛えることで成長を感じる
困難を乗り越えることで成長を感じる
この成長という実感こそが生の証
家庭の萬ごとを収めていく主婦、主夫も立派な仕事です。
孫の面倒を見る祖父母も立派な仕事を為しています。
生の価値や意味
そしてやりがいを
感じられるのです
いかなる背景でも
いかなる順路を経たとしても
自らの生に対する使命を感じ取り
それに沿った仕事をしていく
そして自分を成長させる
成熟させる
これが生きる意味ではないでしょうか
そしてそのような仕事は必ず
他者の幸福に貢献するものであるはずです。
そしてその仕事の仕方こそ
今日の言葉に示されています。
「 天行の如く一般なるを要すべし 」