子貢曰わく、我人の諸を我に加うることを欲せざれば、吾も亦諸を人に加うること無からんと欲す。子曰わく、賜や爾が及ぶ所に非ざるなり。〔公冶長第五〕
(子貢が言った。
「私は、人が自分に無理をおしつけてくることを望まないので、人にも無理をおしつけることのないようにしたいと思います」
先師が言われた。
「賜よ(子貢のこと)、今のお前にはまだ出来ることではないね」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
無理なことを押し付けられたり、嫌なことをされたりすると、不愉快になります。
相手を憎むことさえあるでしょう。
では
人に無理を言わない
嫌がられることをしない
こんなことができるでしょうか。
歎異抄では人間について次のように述べられています。
「私たちの世界は、怒ったり、泣いたり、嘘をついたり、悪口をいったり、人をいじめたりなど、さまざまなことでにごっています。そして、何よりも人間は他の生物を殺して、食べて、生きていかねばなりません。その生き方を“歎異抄”では悪人というのです。
そういう悲しい生き方をせざるを得ない、人間という生物を憐れんで立てられたのが、阿弥陀さまの本願なのです。」
<引用:「歎異抄」金山秋男訳 致知出版社>
大なり小なり
気づくか否かに関わらず
良しにつけ悪しきにつけ
私たちは周囲に影響を与えないわけにはいかないのです。
充実した人生経験を積んでいれば、相手の言動を正すようなときにも遠回しに、比喩的に気づかせられるかもしれません。
しかし、現役で働いているうちは、少々の人間的軋轢があろうが進まねばならない場面ばかりです。
智恵も力も充実している年代ほど、差配することが求められ、多くの指示を出さねばなりません。
まして今日登場した子貢は、若く、力があり、かつ頭脳明晰というエリートです。
そんな子貢に対して孔子は、気づかせよう、深く考えさせようとして「まだ無理」と投げかけたのでしょう。
人を育成するに望ましい助言と感じます。
しかし、この育成方法が奏功するには、受ける側にも素直さや見識、年齢や時期、度量などの準備ができてなくてはなりません。
人の育成
そして熟成には
様々な機微が影響します。
良い人物を増やすには
若いころから
人間力を意識する社会的土壌が必要です。