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COLUMNSブログ「論語と算盤」

私情を排す

2023年3月11日

のたまわく、吾未われいまごうなる者を見ず。あるひとこたえてわく、申棖しんとうと。子のたまわく、とうよくあり。いずくんぞ剛なるをん。〔公冶長第五〕

(先師が言われた。「私はまだ本当につよい人に会ったことがない」

 ある人がこれに対して「申棖(孔子の門人)がいるではありませんか」と言った。

 先師が言われた。「棖は欲が深い。どうして本当に剛い人と言えようか」)

<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

真の強さとはどういうものか

 

それが問われています。

 

 

 

真の剛者とは

あらゆる民衆に

安らかな日々を与えることができる者でしょう。

 

 

 

自分の欲を満たそうとするだけの者は、

 腕力があっても、勢いがあっても、

  単なる乱暴者でしかなく、

   剛者ではありません。

 

 

自らの欲や損得勘定という局量きょくりょうな器ではなく

大きな度量で

人々を救い助ける姿勢や言動を貫く者こそ

『剛者』です。

 

局量・・・狭く小さな量見りょうけん(了見)のこと

 

 

 

「世に身、生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。心、死すれば生くるも益なきなり。魂、存すれば亡ぶも損なきなり」

 

「死して不朽の見込みがあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いつまでも生くべし。僕の所見にては生死は度外におきて、ただ、言うべきを言うのみ」

 

(意訳:この世には生きながら心が死んでいる人がいる。一方で死んでもその志や思想が重用されるような人もいる。心が死んでいるのなら、生きても益はない。魂が生きるのなら、死んでも損はない。

死んでも朽ちることはないと思えるのなら、いつ死んでも良いだろう。生きて大きな仕事ができるのなら、いつまでも生きることが望ましい。私の思いは、生死に基準を置くのではなく、ただ言うべきことを言うということである」)

 

 

伝馬町の獄中からの、この吉田松陰の助言を受けた高杉晋作は、成功するか失敗するかという打算を捨て、機を見定めて決起したとのこと。

<参考:「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」

藤尾秀昭編 致知出版社

11月15日「高杉晋作の志」一坂太郎氏より>

 

 

 

 

私情を排した者、作品、制度こそが剛く、

そしてこの世に長く存在し続けられます。

 

 

 

私情を排し

 

貫くべきは貫く

 

これが剛さの神髄