子曰わく、吾未だ剛なる者を見ず。或ひと對えて曰わく、申棖と。子曰わく、棖や慾あり。焉んぞ剛なるを得ん。〔公冶長第五〕
(先師が言われた。「私はまだ本当に剛い人に会ったことがない」
ある人がこれに対して「申棖(孔子の門人)がいるではありませんか」と言った。
先師が言われた。「棖は欲が深い。どうして本当に剛い人と言えようか」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
真の強さとはどういうものか
それが問われています。
真の剛者とは
あらゆる民衆に
安らかな日々を与えることができる者でしょう。
自分の欲を満たそうとするだけの者は、
腕力があっても、勢いがあっても、
単なる乱暴者でしかなく、
剛者ではありません。
自らの欲や損得勘定という局量な器ではなく
大きな度量で
人々を救い助ける姿勢や言動を貫く者こそ
『剛者』です。
局量・・・狭く小さな量見(了見)のこと
「世に身、生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり。心、死すれば生くるも益なきなり。魂、存すれば亡ぶも損なきなり」
「死して不朽の見込みがあらば、いつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらば、いつまでも生くべし。僕の所見にては生死は度外におきて、ただ、言うべきを言うのみ」
(意訳:この世には生きながら心が死んでいる人がいる。一方で死んでもその志や思想が重用されるような人もいる。心が死んでいるのなら、生きても益はない。魂が生きるのなら、死んでも損はない。
死んでも朽ちることはないと思えるのなら、いつ死んでも良いだろう。生きて大きな仕事ができるのなら、いつまでも生きることが望ましい。私の思いは、生死に基準を置くのではなく、ただ言うべきことを言うということである」)
伝馬町の獄中からの、この吉田松陰の助言を受けた高杉晋作は、成功するか失敗するかという打算を捨て、機を見定めて決起したとのこと。
<参考:「1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書」
藤尾秀昭編 致知出版社
11月15日「高杉晋作の志」一坂太郎氏より>
私情を排した者、作品、制度こそが剛く、
そしてこの世に長く存在し続けられます。
私情を排し
貫くべきは貫く
これが剛さの神髄