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COLUMNSブログ「論語と算盤」

笑われてこそ

2023年2月17日

じょう道を聞けば、勤めて之を行う。ちゅう道を聞けば、そんするがごときが若し。下士かし道を聞けば、大いにこれを笑う。笑わざればもって道とすに足らず。故に建言けんげんにこれ有り。『めい道はくらきが若く、道はおなじきが若く、進道は退くが若し。じょうとくは谷の若く、大白たいはくけがるるが若し。廣德こうとくは足らざるが若く、建德けんとくぬすむが若し。質眞しつしんかわるが若く、大方たいほうぐう無し。たい晩成ばんせいす。大音だいおんこえまれに、だいしょうは形無し。道は隠れて名無し』と。だ道はしてる。〔上士聴道章第四十一〕

(優れた士は道を聞けば、これを信じ、勤めてこれを実行しようとする。

 中ぐらいの士は、道を聞けば、半信半疑、あるとも思い、ないとも思う。だから、行おうとはしない。

 もっとも下等な士は、道を聞けば、大笑いする。しかし、こういう人に笑われるほどでなければ、ほんとうに偉大な道とはいえない。

 だから、昔の諺に、以下のような言葉がある。

 ほんとうに明らかな道は、かえって暗いようにみえる。大きな道は、俗世間と同じようにみえる。ほんとうに進歩する道は、逆にうしろに下がるようにみえる。

 最高の徳は谷のように中が空っぽにみえる。もっとも程度の高い潔白さは、かえって汚れているようにみえる。

 ほんとうに広い徳は中身が足りないようにみえる。しっかりと確立した徳は、かえってこそこそとしているようにみえる。

 真実なる質朴さは、いつもくるくると変わっているようにみえる。もっとも大きな正方形には角がない。

 いちばん大きな器は、よほど遅くなってからやっと完成する。もっとも大きな音は、めったに声を立てない。いちばん大きな形というのは、形がみえない。

 真の道は、俗人の目から隠れて、これを名付けようもない。

 以上が昔からの諺である。

 だから、偉大なる道、これはすべてを人に与える、与えることによってみずからを完成し、他者をも完成するものである。

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

 

 

 

 

上士、つまり優れた士は

なぜ速やかに信じて実行するのか

 

それに対し中士はなぜ半信半疑なのか

下士はなぜあざ笑うのか

 

 

 

 中庸に「せいむことし」という言葉があります。

これは、「天の心に基づいて、本気で続けること」という意味です。

 

上士が取る即断即決の姿勢をこの言葉から考えるとするならば、

「自ら掘り下げて深めていくことで初めて微細な部分、徳を高める次への入り口が見えてくる」

ということになります。

 

つまり、徳を高める努力を続けてこそ、道を聞いたときにすぐ反応できるようになるのです。

 

 

 

 一方、下士は自ら思いを高めるような努力はしておらず、言われたことを守るに精一杯です。

 

そのため、微細な要素、突破口が全く見えていません。

 

教えを受けていない事柄を聞いたとき、理解が及ばず、笑い飛ばすことしかできないのです。

 

 

 

 この事象を逆転させると、多くの人から笑われて馬鹿にされるくらいでなければ、本物に近づいていないということになります。

 

全く逆方向に進んでいるように見える人、もしその人が至誠の思いで自らを高めているのなら、本物への道を歩んでいるということです。

 

 

 

 何かしらの成果や手柄が欲しいとき、周囲が賛同することを考えがちですが、それは往々にして誰にでも思い付く程度のものです。

 

それに対して、本気でやり遂げる思いがある人は、周囲が賛同しようがしまいがお構いなく、ただ自らの道を進んでいくだけです。

 

 

上士はおのずからそのようになっていきますが

下士はこの真理が理解できません。

 

 

 

 

 「真の道は、俗人から隠れて」いるとのこと。

 

真剣に道を行こうとする人は、隠れている部分を一つ一つ自らの血肉にします。

 

 

隠れている要素を見出して学ぶには時間がかかります。

 

その上で、孤高の領域からこの世に施しを行うにまで至るには、膨大な時間がかかるでしょう。

 

つまり、大器晩成は必然のこと。

大きな器は簡単にはできないのです。

 

 

 

 

他に依存することなく

従属することなく

自らに与えられた一生

一回だけ

一つだけの生命

いま、生きねばなりません。

 

 

 

道元の言葉です。

 

じょう迅速じんそくしょう死事じじだいというなり、返す返すもこの道理を心に忘れずして、ただ今日今時ばかりと思うて時光を失わず、学道に心をいるべきなり。」

〔正法眼蔵:三時業〕

 

(無常迅速(一切の現象は速やかに移ろいゆき、人命は瞬時も止まらない)であり、生死事大(人間の生死の真相を究めることは極めて重大)である。返すがえすも、この道理を心にとめて忘れず、ただ今日、この時ばかりと、覚悟して時を無駄にせず、学道に専念すべきである。)

 

<出典:「道元一日一言」大谷哲夫編 致知出版社 十一月八日より>