事に当り思慮の乏しきを憂うること勿れ。凡思慮は平生黙坐静思の際に於てすべし。有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり。事に当り率爾に思慮することは、譬えば臥床夢寐の中、奇策妙案を得るが如きも、翌朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し。〔追加一〕
(あらゆる事態にあたって、自分の思慮が乏しいということを思い悩んではならない。おおよそ思慮、考えることは日頃の平常心で、座って静かに黙考できる時にしておくべきだ。そうすれば、何か起こった有事の際には、十のうち八、九は実行に移すことができるだろう。
不測の事態が起きて、とっさの際に考えつくようなことは、例えば、寝ている最中に夢の中で名案、妙案を思いつくようなものだ。翌朝起きてみれば、まったく役に立たぬ妄想といった類いであることが多い。)
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
人が思慮する事柄は時とともに変わります。
幼少のころは明日の学校の準備くらいであり、交友を含め他のことは、その時その場の対応です。
思春期になると、勉強、進学、部活動、そして友人関係や恋愛など、一気に思慮する事柄が多くなります。
そして社会的な交友がウエイトを増してきて、やがて社会人となります。
ここまで、その多くは正解やマニュアルはなく、現実に直面して初めて対処することばかりです。
準備や備えのやり様がないため
未成年は守られねばなりません
成人して社会人となると、成果が求められるようになります。
マニュアル、専門知識などが道具として与えらます。
これらを身に付けることは不可欠ですが、しかしながらその実践の場は常に予測不可能な現実社会となります。
ここにおいて
現実社会の有様を鑑みた上で思慮し
成果を出すための備えが必要となります
中堅どころともなると、今度は自分の属する組織の将来、進むべき方向性、社会的な役割などが思慮すべき主テーマとなってきます。
様々な事例や組織の価値観を基にした思慮、常日頃からの思慮が必要になります。
このあたりを境として
思い付きレベルの夢物語
奇策や妙案は影を潜めます
やがて壮年期になると、自国の行く末が主たるテーマとなってきます。
他国との関係や、人間の性も学んできた上で考える領域です。
自分の子や孫に限らず
日本人の子孫がこれから生きていくこの国
世界の子孫がこれから生きていくこの世界
地球に住む私たちはどうあるべきなのか
その姿を見出そうと試みることです。
常日頃から思慮するために必要な根源的要素は
それまでの人生で得てきた経験
培ってきた価値観です。
先人の知恵も活用して
未来を創り出すことへの貢献
これが求められます。
そしてさらに時が進むと
自らの幕引きを意識し
それに向けてこの世に何を尽くしていくか
それを思慮しなくてはなりません。