父の道は厳を貴ぶ。但だ幼を育つるの方は、即ち宜しく其の自然に従って之れを利道すべし。助長して以て生気を戕うこと勿くんば可なり〔晩録二三〇〕
(父の子に対する道は厳格でなければいけない。ただし、幼児を育てるときには、その自然のままに従って、それとなく善い方向に導いてやるのがよい。無理やり力を加えて、子供の生き生きとした活気を損なうことがなければよいのである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
どのような心がけで人生に対峙していくか
父親は子を道に沿うようきちんと育てる役割があります。
だからと言って、幼いころから、子の進路を勝手に決めつけて、それを押し付けるのは誤りです。
人は、どの家に生まれようと、一人一人が天から与えられた使命を持って生まれ出でています。
まずはそれを発現させることが大事です。
道と進路は違います。
道とは、いかに生きていくかの根本的方針といえるでしょう。
それに対して進路は、生きていくことを目的とした一つの手段となります。
最も良いのは両者の一致、つまり自分の能力の完全発揮と、世の中を良くする仕事が一致するような生き方でしょう。
道を認識した上で、どのような進路を選択すべきかについては、考える時間が十分に必要です。
正直な人であるほど、人生に悩むかもしれません。
それは仕方のないこと。
二十歳を過ぎて、いやもっと遅い年齢で、道と進路が一致した生き方を見出し、世に貢献し、自分の人生を切り開いてきた先人は決して少なくありません。
まさに大器晩成、大きな器になるためには、どうしても時間がかかるのです。
道を認識しないまま急ぎすぎたり、何者かに進路を押し付けられたりしたなら、燻ぶった人生になりかねません。
組織においても同じでしょう。
後進を育てる側の人は、父親と同じ責務を背負います。
後進の特性を見極め、活力を損なわせることなく、伸びていくように仕向けること。
くれぐれも、人財という経営資源、この世から借りている大事な資源を無駄遣いしてはなりません。
一方、育てられた側は、やがて育てる側に回ります。
そのとき、父親や上長という師から施してもらったことと同じように、特性を見抜き、見守り、考える時間を与えることなどに工夫し、次世代の人たちを育てていかねばなりません。
現在の職場では、枠に嵌めようと押し付ける傾向が強まっていないでしょうか。
創意工夫を促すことなく、自分が経験して来たどおりに仕事をさせたり、考える時間を与えず、マニュアル通りに行うことを強制しすぎではありませんか。
立場上、それに歯向かうことができない部下は、仕方なく全て教えてもらうしかありません。
実のところ、指示待ち族を作ったのは、現代の会社組織そのものではないでしょうか。
放っておいた方が、独力で、集中力を発揮し、多くの成果を上げた可能性も少なからずあるはずです。
自分と同じようにやらせるのなら、その部下は自分以上にはなれません。
人財の無駄遣い、組織のさらなる成長は望めません。
時間を与え、見守り、特性を捉え、適切な助言をよく考えて与え、自走させることです。
これがうまくゆかないのは、多くの場合、育てる側の度量に問題があるからでしょう。
このような育て方を実践していく見本が必要です。
これからの日本が活力ある国になるれるかは
育てる側の意識と行動にかかっています。