時代の風と云ふものは、かへられぬ事なり。段々と落ちさがり候は、世の末になりたる所なり。一年の内、春計りにても夏計りにても同様にはなし。一日も同然なり。されば今の世を、百年も以前の良き風になしたくても成らざることなり。されば、その時代々々にて、よき様にするが肝要なり。昔風を慕ひ候人に誤あるは此処なり。合点これなき故なり。又当世風計りと存じ候て、昔風を嫌ひ候人は、かへりまちもなくなるなりと。〔聞書第二 教訓〕
(時の流れというものは、かえることができない。次第に世の中が堕落してきたのも末世になったためであり、仕方のないことである。一年の間、春ばかりとか、夏ばかりとかいうことはありえない。一日の中においてもそうである。
従って今の世を、百年も昔のよい時代にしようと考えてもできることではない。だから、その時代時代に適応して、最もよいように努力する心がけが大切である。
昔風ばかりを慕う人の誤りはこの点が理解できないところにある。
そうかといって、当世の風ばかりをよいと思いこみ、昔風を嫌う人々は、思慮浅く、軽薄な心がけのものである。)
<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
昔も今も、世の中というものは堕落していると感じるようです。
そう言われ続けながらも、世の中はどっこい成立しています。
なぜなのでしょう。
一人一人の感覚と、全体としての現実が違っていることの証なのでしょう。
昔が良かったと思うことはたくさんあります。
地方で育った私など、野山海川で遊びつくした日々。
書物やテレビでしか知ることのできなかった大都会に飛び込んでいくときの、不安と緊張。
頼る所もなく、不条理に我慢しながらも、いつか見返してやるという挑戦心。
組織で皆が一致団結して乗り越えられたときの充実感と幸福感。
いま思えば、愛おしく、大切な日々ばかりでした。
しかし、そんな日々をこれからの時代も永遠に、皆に体験してもらいたいというのは、エゴでもあるでしょうし、もとより不可能なのでしょう。
一方で、今の方が良いこともたくさんあります。
20世紀末、日本の交通事故死者数は1万人以上でしたが、現在では半分以下にまで減少しています。
昭和の時代、新幹線の終点となる東京駅では、車内の座席ポケットに食べ終わった弁当箱やビールの空缶が詰め込まれていましたが、今はほとんどの人がゴミ入れまで持っていって処分しています。
総じて、マナーと他人への思いやりが厚くなってきているようです。
また、公害や争いごとも減ってきています。
人類が一気に進化するわけでありませんが、現代は情報革命という新時代だからといって、新奇で当てにならない考え方を信奉する傾向も見られます。
長い目で見れば
農業革命 産業革命を経ても
人類の本質は大きく変わっていません
ここ100年に限れば、各種の凸凹をならした大雑把な平均的感覚は、それほど大きく変わってないのかもしれません。
もちろん、悲しむべき戦争の影響は、とても無視できるものではありませんが。
確実なことは、ホモ・サピエンスとして20万年前に生まれてから、人類は間違いなく格段に生きやすくなっており、種として充実し、成長しているということです。
今日の言葉の「時代に適応し、最も良くする」ことが、人類の成長につながることでしょう。
それは同時に、一人一人が確実になせることであり、幸福につながる取り組みだと感じます。
そしてまた、100年単位で見たときの大雑把な平均値を上げることになり、その原動力は先人の知恵となるでしょう。
古の先人の知恵を
現在の技術や社会基盤に活かすことで
これから進んでいく道が開かれるはずです。
先人の知恵と現在の社会基盤は
ともに人類が培ってきた宝物です。
好き嫌いすることなく
隅の隅まで活用しましょう。