孟武伯問う、子路仁なりや。子曰わく、知らざるなり。又問う。子曰わく、由や、千乘の國、其の賦を治めしむべきなり。其の仁を知らざるなり。求や何如。子曰わく、求や、千室の邑、百乘の家、之が宰たらしむべきなり。其の仁を知らざるなり。赤や何如。子曰わく、赤や束帯して朝に立ち賓客として言わしむべきなり。其の仁を知らざるなり。〔公冶長第五〕
(孟武伯が尋ねた。「子路は仁者でしょうか」
先師が答えられた。「仁者であるかどうかわかりません。」
また同じことを重ねて尋ねた。
先師が言われた。「由は千乗の国の軍事を司らせるだけの能力はありましょう。然し仁者であるかどうか分かりません」
孟武伯は次に「求(冉有の名)はどうでしょうか」と尋ねた。
先師は答えられた。「求は千戸の邑か百乗の家の執事なら十分任務を果たせましょう。然し仁者であるかどうか分かりません。」
さらに「赤(公西華の名)はどうでしょうか」と尋ねた。
先師が言われた。「赤は正装して朝廷に於いて、来客の応対をさせることはできます。然し仁者であるかどうか分かりません。」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
論語の中で最も重んじられている言葉
“ 仁 ”
孔子が具体的に“ 仁 ”について述べている部分を抜粋します(出典は同前)。
「自分が立とうと思えば先に人を立て、自分がのびようと思えば先に人を伸ばすように、日常の生活に於いて行う。これが仁を実践する手近な方法だ。」〔雍也第六〕
「仁は人が生まれながらに与えられているもので、遠くに求めるものではない。従って仁を実践しようと思えば、仁は直ちに実現されるであろう。」〔述而第七〕
「私利私欲に打ち克って、社会の秩序と調和を保つ礼に立ち戻るのが仁である。たとえ一日でも己に克って礼に復れば、天下の人もおのずから仁になっていく。その仁を行うのは、自らの意志によるべきで、他人のたすけによるべきではない。」
(上記に続いて、顔淵が仁の実践の方法について問う)「礼にはずれたことは視ないように、礼にはずれたことは聴かないように、礼にはずれたことは言わないように、礼にはずれたことは行わないようにすることだ。」〔顔淵第十二〕
「五つのことを天下に行うのを仁という。五つとは、恭寛信敏恵だ。うやうやしければ、人から侮られない。ゆったりとしておおらかなれば、民は慕ってやってくる。まことを以て接すれば、人から頼られる。きびきびと行動すれば、業績が上がる。恵が深ければ、人は気持ちよく働くようになる。」〔陽貨第十七〕
以上のような“ 仁 ”に関する孔子の定義をもとに今日の言を振り返ってみると、各人が“ 仁者 ”であるかどうかが確かに不明であることがわかります。
子路(由)は戦術家として、求は実務家として、赤は接遇者として立派ですが、上記の“ 仁 ”の定義に当てはまるかどうか、これだけではわからないのです。
ところで、孔子はこうも言っています。
「もしも真の王者が現れたならば、(今のような乱世でも)三十年(一世)もすれば、天下の人はすべて仁に化するであろう。」〔子路第十三〕
乱世とも言える21世紀のいま、国民の魂は揺らいでいるかのようです。
これは、戦後における教育の基盤が不安定なままだからではないでしょうか。
欧米から取り入れるばかりの知識やスキルを重視し、人を層別に同列化し、部品化し、標準的なマニュアルや平均値で対応させようとする。
このような同種の集団意識が根付くと、やがて、自責にならぬよう言い逃れや弁解が蔓延るようになります。
自分ではなく周りが悪い、他人が悪いという意識の充満は、各種訴訟の賠償に懲りた行政・省庁、そして政治家による責任逃れの施策がそのまま生き写しになっているようでもあります。
国家としての責任、最も重いこの責務から、我が国の為政者は保身のために逃げていませんか。
~ 三流の人間は死んで財を残し
二流の人間は死んで名を残す ~
こういう人間を生むための教育ではなく、覚悟して生き抜くこと、人としてどうあるべきか、そのあり方を考えさせる教育が求められています。
一人一人の国民が
十把一絡げの人生をめざす愚に陥らぬよう
自らの生き様を作り上げ
多種多様な角度からこの国を支える
人を活かし 自らを活かし 社会に貢献し
自責は自責として受け止める勇気と度量を持つ
自由で
堂々とした
自分らしい
希望を持った生き方
“ 仁 ”
このような人々を育むための中核に据えるべき哲学であるはず
~ 一流の人間は死んで人を残す ~