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COLUMNSブログ「論語と算盤」

道を得る

2023年1月13日

昔の一を得る者。天は一を得て以てきよし。地は一を得て以てやすし。しんは一を得て以てれいなり。谷は一を得て以てつ。萬物は一を得て以て生ず。侯王こうおうは一を得て以て天下のていと爲る。其の之を致すは一なり。天は以て淸きこと無ければ、まさに恐らくはけんとす。地は以てやすきこと無ければ、將に恐らくはうごかんとす。神は以て靈なること無ければ、將に恐らくはまんとす。谷は以て盈つること無ければ、將に恐らくはきんとす。萬物は以て生ずる無ければ、將に恐らくは滅びんとす。侯王は以て貞と爲ること無ければ、貴高將に恐らくはくつがえらんとす。故に貴は賤を以て本と爲し、高は下を以てもといと爲す。是を以て侯王は自ら孤寡不こかふこくしょうす。此れ其れ賤を以て本と爲す、非なる。故にいたりて車をかぞうれば車無し。琭琭ろくろくぎょくごと落落石らくらくいしの如くなるを欲せず。〔昔之得一章第三十九〕

(昔の一を得たもの。例えば天はこの一を得て、そのおかけで清らかに明るい。大地はこの一を得てこそ、どっしりと安定している。神々はこの一を得て、それによって不思議な力を発揮する。谷はこの一を得てこそ、万物をその中にはらむ。万物はこの一を得て、それによって生まれてくる。諸侯や王者はこの一を得て、天下の正義、天下の正しい手本となり得る。天の清らかさ、地の安定、神々の不思議な力、これらのものを呼び起こすもの、それをもたらすものは、この一である。

 天がもし、この一によって清らか、そういうことがなければ、天もいつかは壊れてしまう。大地は、この一による安定、それがなければ、動いてとどまらないであろう。神々は、この一による不思議な力、これを失えばその霊力は消滅してしまうであろう。谷は、この一によって満ち満ちているということ、それがなければ枯れてしまうであろう。万物は、この一によって生ずる、それがなければ、滅びるであろう。諸侯や王者は、この一によってこそ天下の正義となる。そのことがなければ、その高い貴い地位から真っ逆さまにひっくり返るであろう。

 だから、貴いということは卑しいということを基本としている。高いということは低いものを基本としている。

 そこで諸侯や王者は、自分の一人称をみなしごとか、徳の少ない人とか、よくない人とかいう。そういう悪い字をもって一人称としている。つまり、諸侯や王者、こういう身分の高い人は、卑しいということを基本としている。卑しいというものが下にあってこそ、自分がその地位におる。だからみずからを、みなしご、徳が少ない、よくない、そういう下へ下へへりくだったそういう地位に置こうとするのだ。そうではないか。

 だから、車の部分をとことんまで、ここの部分は輪である、この部分は輻である、この部分は車台である、この部分は横木であると、部分部分を細かく数えていけば、究極的に車という概念はなくなる。車という実態はどこにもないことになる。

 つまり車というもの、これはあるともいえる、ないともいえる、ある部分は輻である、ある部分は輪である。車というそういう概念はあるともないともいえる。

 そういうものが道に近いのだ。諸侯や王者がみずからをみなしごとか、徳の少ない人と呼ぶ。それも同じことで、へりくだる、あるともないともいえるようなもの、これが道に近いもの。

 美しい玉、あるいはごろごろとした石、そのような一定して変えることのできないもの、そういうものにはなりたくない。漠然とした、あるともいえる、ないともいえる、そういうものに私はなりたい。)

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

 

 

 

“ 一 ” とは “ 道 ” とのこと

 

 

“ 道 ” を取り入れて、自らと一体化することでこそ、

生きていくことができる、機能を果たすことができる、

世が成り立っているということのようです。

 

 

 

人であれば、この “ 一 ” を得ることで正義を行い、高い地位に就くわけです。

 

一方、地位の低い人たちもおり、そちらの方が圧倒的に多いわけです。

 

諸侯や王は、地位の低い人々がいてこそ、高い地位に自分たちがいることができるということを知っています。

 

そして、“ 一 ”を失えば、今の地位が白紙に戻ることも。

 

つまり、高い地位というものは、あるともないとも言える概念です。

 

 

また、あらゆる部品が寄り集まって形作られる車というような集合体、

このような存在が “ 道 ” に近いとします。

 

逆に、一つ一つの部品は、美しい玉やゴロゴロとした石などと同様に、

もはや変化できないものであり、このような存在は “ 道 ” から遠いとしています。

 

 

 

老子は、“ 道 ” に近い存在、つまり漠然とした存在になりたいとのこと。

 

これはどういうことでしょうか。

 

 

 

考えるに、様々な経験や学びから形作られる、人物としての大きさ、幅の広さ、奥行きの深さなどが “ 道 ” に近い存在ということではないでしょうか。

 

 

 

 

 

“ 道 ” から生じ

やがて “ 道 ” に還る私たち

 

還るときには

できる限り “ 道 ” の在り様に近づいていたいものです

 

 

そうでなければ

生まれてから何の変化もしない石でしかないのですから。

 

 

 

私たちは

この世を構成する一人一人であると同時に

この世界の正しい行いをつかさどる支配者

そういう一面も併せ持っているはずです

 

 

誰でも少しの勇気を出せば

正しい行いをして そして主張して

世の中を良い方向にもっていくことができるはずです

 

 

 

多種多様な考えを学び

可能な限りの経験を積み重ね

宇宙を構成する一部分として

そしてまた全体を司る王として

素晴らしい世界を築いていかねばなりません

 

単なる思い上がりや虚勢ではなく

これこそが  “ 道 ” であるはずです