内気に陽気なる御主人は随分誉め候て、御用に落度なき様に調へて上げ申す筈なり。御気を育て申す所なり。さて又、御気勝ち・御発明なるご主人は、ちと、御心置かれ候様に仕掛け、此の事を彼者承り候はゞ何とか存ずべしと思召しさるゝものになり候時、大忠節なり。斯様の者一人もこれなき時は、御家中御見こなし、皆手揉みと思召され、御高慢出来申し候。上下に依らず、何程善事をなし候ても、高慢にて打崩し候なり。右のあたりに眼の着く人、無きものなり。〔聞書第二 教訓〕
(おだやかで明るい気性のご主人に対しては、せいぜいほめ上げて、お仕事がうまく進むよう、調えてさし上げるのがよい。つまり、積極的なご気性にお育てするのである。
また、勝気で、頭の切れなさるご主人に対しては、一目置かれるようにしむけ、ご主人が「これをあの者が聞けば何と思うであろうか。」と思われるようになるのが大の忠義である。このような家来が一人もいないときには、ご主人はみな無条件に追従するものばかりとお思いになり、高慢の心がお出になるであろう。たとえ、どれほど善い政治がおこなわれても、この高慢のために、すべてぶちこわしになってしまうものである。
このようなところに気がつく人はないものである。)
<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
主君に正しい政を行ってもらうためには
主君を上手に操縦せねばなりません。
訳文にあるように、主君にも個性があり、適切な方法で育成していかねば、誤った政を行う可能性があるのです。
これは、政治の世界のみならず、経営においても同じです。
ではまず、望ましい組織の長としての人物像を考えてみましょう。
少なくとも組織のあるべき姿をしっかりと認識していなくてはなりません。
それは、その組織の理念に沿う行動指針、またビジョンや使命の実現に向けた活動のあり方です。
また、経営資源は有限ですから、社員という経営資源を上手に使うことが求められます。
煙たい存在と言える幹部や部下であっても、いかに活用するか、どう役立てるかを工夫せねばなりません。
配置転換でいなくなってホッとするのは中間管理職の心情であって、トップの考えとは大きく相違します。
この違いを、中間管理職の方はよく認識しておくべきです。
トップにとっては、現有の経営資源こそが武器なのです。
その経営資源としての社員は、簡単に取り換えたり、解雇したりすることはできません。
組織は、社員に対して、我慢し、大切にし、育て上げねばなりません。
優れた人財が地から湧いて出たり、天から降ってきたりはしないのです。
このようなトップの立場を認識した上で
自分が仕える殿様をいかに操縦していくか
それを考え
そして実践していかねばなりません。
補足ですが、解説では、トップからうるさい存在と思われるくらいでないと、大きな仕事は出来ぬという教訓も別項に示されているとのことです。
本年他界された稲盛和夫氏、JALの経営再建の折、会議で発表する幹部は、私と刺し違える覚悟で提言、具申せよと指示したそうです。
中途半端であったり、評論家のような無責任な内容であったりすれば、即刻中断、退席させるほどだったようです。
このような真剣勝負でないと、世を良くするシステム、世の中の栄養源である会社組織を創り上げることはできず、また育ってもこないのでしょう。
我が国は、高度成長の頂点と言われるバブル経済の崩壊以降、凋落の一途を辿っていると言われます。
一度、底辺まで落ちねば、本当の真剣勝負とは何か、なぜ真剣勝負が必要であるかが感じられないのかもしれません。
底辺こそが
さらに落魄れるか
再生できるか
その分岐点となります
私たちの苦難と修養の時代は
まだまだ続かねばならないのでしょう。