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COLUMNSブログ「論語と算盤」

人を育てる

2022年12月19日

父の道はまさげんちゅうそんすべし。母の道は当に慈中に厳を存すべし。〔晩録二二九〕

(父たる者は、厳しさの中に慈愛がなくてはいけない。母たる者は、慈愛のうちに厳しさがなくてはいけない。)

<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

大いなる愛、深遠なる愛、それが親の道

 

 

 

子供は、放っておけば、生き延びたい欲求で一定の成長をするのでしょう。

 

しかし、哲学のない生き方を身につけてしまうと、悪人にさえなりかねません。

 

 

父親は、正にその身でもって哲学を教える存在です。

 

自らを律する姿を見せる厳しさ、そして究極の場で見せる慈愛

 

親の真の厳しさとは、深いいつくしみの心から染み出るものです。

 

 

 ある会社員の話です。

将来性が大きく期待できる取引を成立させましたが、その利益率は会社の基準の半分ほどでした。

彼は、会社の新たな事業領域の発掘でもあることから、上司と相談した上で社内を説得して回りました。

 しかし、最後の決裁の場面において、最高幹部の一人から叱り飛ばされ、罵詈雑言を浴びせられ、こんな取引を会社は決して望んでいないと一刀両断されました。

ところが、落胆する中で書類(稟議書)を見てみると、その幹部の押印とともに認可に丸がなされています。

そして、最高決定権者の欄は空白のまま。

 

 この幹部は、利益率の低さを叱り飛ばしながらも、越権えっけん行為で対抗勢力から吊るし上げられることを覚悟の上で、会社の将来を想い、自らの進退を賭して決断したのです。

もしも最高決定権者にこの書類が回っていたら。

基準の利益率を大きく下回る案件に対して、おいそれと認可はできません。

トップがブレれば、会社の統制が揺らぎます。

 幹部はそれを見越し、次は無いぞと警告しつつ、自分を捨て駒にして彼の仕事を推したのです。

 

彼がその配慮に気付いたのは、かなり後だったそうです。

 

 

 

 子供が健全に成長するには、無条件で受け入れられ、愛されることが必要です。

 

その感触、感情を得ることで、やがては自分が他者を暖かく包み込むことができるようになります。

 

そのためには、無条件で降り注がれる母親の愛情が欠かせません。

 

ただし、その愛情には、人としての礼節がしっかりと根差していることが肝要です。

 

母の愛情は単なる避難場所ではないこと、それを子供に知らしめねばならないのです。

 

「しっかり生きよ、母に依存せず、一人で歩める人となれ」

 

このメッセージがその中核に必要です。

 

 

 ある母の話。

 

 物心がついた時から、なぜか僕を邪険にして邪険にして、嫌なお母さんだったんですよ。

散々いじめ抜かれて、憎まざるを得ないような母親でした。

これは後で知ったことですが、母は僕に菌をうつしちゃいけない、そばへ寄せつけちゃいけない、という思いでいたようです。

本当は入院しなきゃいけない身なんですが、そうなれば面会にも来させられないだろう。

そこで母は、どうせ自分は死ぬのだから、せめてこの家のどこかに置いてほしいと父に頼み込み、離れを建ててもらったそうです。

 

 僕はそこに母がいることを知っているものですから、喜んで会いにいく。

するとありったけの罵声を浴びせられ、物を投げつけられる。

本当に悲しい思いをして、だんだんと母を憎むようになりました。

母としては非常に辛い思いをしたんだと思いますよ。

 

 それと、家には家政婦がいましてね。僕が幼稚園から帰ってくると、なぜか裏庭に連れていかれて歌を歌わされるんです。

「きょうはどんな歌を習ってきたの?」と聞かれ、いくつか歌っていると「もっと大きな声で歌いなさい」なんてうるさく言うから嫌になったんですがね。

 これも母が僕の歌を聞きながら、成長していく様子を毎日楽しみにしていたのだと後になって知りました。

 

 僕はそんなことを知る由もありませんから、母と死に別れた時もちっとも悲しくないわけね。

でも母はわざとそうしていた。

病気をうつさないためだけじゃない。

幼い子が母親に死なれて泣くのは、優しく愛された記憶があるからだ。

憎らしい母なら死んでも悲しまないだろう。

また、父も若かったため、新しい母親が来るはずだと考えたんでしょうね。

継母に愛されるためには、実の母親のことなど憎ませておいたほうがいい、と。

 

 孤児院を転々としながら非行を繰り返し、愛知の少年院に入っていた13歳の時でした。

ある時、家政婦だったおばさんが、僕がグレたという噂を聞いて駆けつけてくれたんです。

 母からは20歳になるまではと口止めされていたそうですが、そのおばさんも胃がんを患い、生きているうちに本当のことを伝えておきたいと、この話をしてくれたんですね。

 

 僕はこの13歳の時にようやく立ち直った、と言っていいかな。

あぁ、俺は母に愛されていた子なんだ、そういう形で愛されていたんだということが分かって、とめどなく涙が溢れてきました。

(引用:「1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書」

藤尾秀昭編 致知出版社 2月13日 作家 西村滋より)

 

 

 

慈しみの心が深ければ深いほど

それに気づくことは難しいものです

 

真の意味においては

日々の生活の一コマさえ

決して生易しいものではないのでしょう

 

 

人としていかに生きるか

いかに人を育てるか

 

 

「大善は非情に似たり   

   小善は大悪に似たり」

 

~稲盛和夫氏の言葉より~