親に事うるの道は、己れを忘るるに在り。子を教うるの道は、己れを守るに在り。〔晩録二二八〕
(親に仕えるには、自分を無にして尽くすことである。子供を教えるには、自ら徳操を固く守って模範となることである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
自分を無にして尽くす その対象は親
自分が模範を示す その対象は子
昨今、逆になっているように感じます。
子に全面的に尽くし、模範の姿を示すことができない。
親に対しても、きちんと生活しているから文句ないでしょ、というような態度。
こんな風潮が広がっているようです。
普段は明確な疑問を感じることはありません。
しかし、このような意識が代々継続していくことは不可能です。
親と子の関係をよく考えてみましょう。
子が親から全面的な愛情を注がれて成長したとします。
それはそれで良いかもしれませんが、一方で親としての模範を示す教えがないと、子は“親への成り方”がわからないままです。
子は、成人するまで、親から言われたことを素直に守り続けるだけになります。
なぜか
自分に尽くす親の姿が憐れだから
そして成人したときには、自分の親がやってきたような態度、きちんとやっているから良いでしょ、として親を突き放すことはできません。
なぜか
親に恩返ししないと
自分の心のバランスが取れないから
あれほど尽くしてくれたのだからと
親の方は、一応人並みに育ったと思って自分を慰めればよいでしょう。
しかし子は、生きる意義をつかめていないかもしれません。
子は、親から離れた後、いかに生き抜くべきか、全くわからないからです。
模範から全貌を学ぶ機会を得られず
断片的な正解を詰め込まれてきただけ
親になるとはどういうこと
愛情を注いで尽くし
まやかしの感謝を背負わせることか
今日の言葉にあるように、親が模範を示すことで、子は初めて親の在り方を学べます。
そして、親が祖父母に対して尽くす姿も子の脳裏に刻まれます。
親との間には反発も生じるでしょうが、やがて自分が親になったとき、自分の子や親に対して、親から学んだことを実践していくでしょう。
これによって、親と子の関係が輪廻の如く継続し、命が代々繋がっていくのです。
親子関係は、見えない「絆」でつながっています。
それは、深い愛情と感情のぶつかり合い、相反する表と裏で構成されます。
その表と裏が一体なったとき、初めて「絆」が姿を現し、認識されるのです。
溢れる愛情 突き放す客観
無心で尽くす 対立する感情
陰と陽
全て対であり、一方だけでの存在は不可能です。
自らの人生の謳歌のみに邁進する
これも一つの本能かもしれません。
しかしそれは
種の興隆ではなく
衰退に導く側面も併せ持った本能です。