持して之を盈すは其の已むに如かず。揣へて之を鋭くすれば長く保つ可からず。金玉堂に滿つれば之を能く守る莫し。富貴にして驕れば自ら其の咎を遺す。功成り名遂げて身退くは天の道なり。
(水を溢れるばかりに一杯にしたコップを持たされただけで、
こぼすまいとして人間は自由を奪われてしまう。
何事も一杯に得ると、それだけで不自由になる。ほどほどが良いのだ。
例えば刀は、鍛え打ちすぎると、その途端に強さを失ってしまう。
物事にはここが限度というものがあるのだ。やりすぎは全てを台無しにしてしまう。
金や宝石が堂に溢れるばかり。財産財宝も持ちすぎると、
今度はそれを失わないかと気になって夜もおちおち眠れない。
身分相応の暮らしが一番良い。
金持ちにもなり、社会的立場も持った。その上驕った心で他人を侮る。傲慢にも程がある。
いつしか周囲の信頼を失うことになるのだ。
成功を手にし、名声も得たら、もうそれで本望は遂げたと、
その地位から身を退く謙虚さこそ、天の示す正しい在り方なのだ。)
<出典:「ビジネスリーダーのための老子道徳経講義」田口佳史著 致知出版社>
もっともっとと、欲は出てきます。適度なところで止めるのは本当に難しいことです。
このさじ加減は、経験を積み重ねるしかないのでしょうか。
苦労して得たものを失いたくないばかりに、自由を失ってしまう愚、このことに気付けるか。
鍛え過ぎるのも逆効果です。組織のパワハラ、家庭のスパルタ教育、筋トレのやりすぎなど。
また易経の言葉を引用します。
「眇にして能く視るとし、跛にして能く履むとす。
虎の尾を履めば人を咥う。凶なり。武人大君となる。」
(洞察力も推進力も未熟なのに、力があると思い込み、危険な道を恐いものなしで無謀に進む。
その結果、虎の尾を力任せに踏み、ガブリと食われてしまう。凶である。
武人が大君になるのと同様、無理がある。)
<出典:「易経一日一言」竹村亞希子著 致知出版社>
世の中をよく観察し、謙虚に、礼節を弁え、ちょうど良い塩梅を見つけることが大事です。
独創的でユニークな作品を遺した画家の立石大河亞氏(本名:立石紘一、タイガー立石)は、作品への評価が高まってきた30歳位のとき、安住・安定を嫌い突如イタリアに移住しました。
言葉もお金も人脈も無いままで・・・。
限度、適度を知るには、自分は何をどうしたいのかという目的が必要です。
誰かの評価を当てにしたものではなく、自身が確信する目的です。