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COLUMNSブログ「論語と算盤」

適度を知る

2021年6月18日

してこれみたすはむにかず。きたへてこれするどくすればながたもからず。きん玉堂ぎょくどう滿つれば之をく守るし。富貴ふうきにしておごればおのずから其のとがのこす。功成り名遂げて身退しりぞくは天の道なり。

(水を溢れるばかりに一杯にしたコップを持たされただけで、

こぼすまいとして人間は自由を奪われてしまう。

 何事も一杯に得ると、それだけで不自由になる。ほどほどが良いのだ。

 例えば刀は、鍛え打ちすぎると、その途端に強さを失ってしまう。

 物事にはここが限度というものがあるのだ。やりすぎは全てを台無しにしてしまう。

 金や宝石が堂に溢れるばかり。財産財宝も持ちすぎると、

 今度はそれを失わないかと気になって夜もおちおち眠れない。

 身分相応の暮らしが一番良い。

 金持ちにもなり、社会的立場も持った。その上驕った心で他人を侮る。傲慢にも程がある。

 いつしか周囲の信頼を失うことになるのだ。

 成功を手にし、名声も得たら、もうそれで本望は遂げたと、

 その地位から身を退く謙虚さこそ、天の示す正しい在り方なのだ。)

<出典:「ビジネスリーダーのための老子道徳経講義」田口佳史著 致知出版社>

 

 

もっともっとと、欲は出てきます。適度なところで止めるのは本当に難しいことです。

このさじ加減は、経験を積み重ねるしかないのでしょうか。

 

苦労して得たものを失いたくないばかりに、自由を失ってしまう愚、このことに気付けるか。

鍛え過ぎるのも逆効果です。組織のパワハラ、家庭のスパルタ教育、筋トレのやりすぎなど。

 

 

 また易経の言葉を引用します。

 

   「すがめにしてるとし、あしなえにして能くむとす。

虎の尾を履めば人をくらう。凶なり。武人ぶじん大君たいくんとなる。」

 

 (洞察力も推進力も未熟なのに、力があると思い込み、危険な道を恐いものなしで無謀に進む。

  その結果、虎の尾を力任せに踏み、ガブリと食われてしまう。凶である。

  武人が大君になるのと同様、無理がある。)

<出典:「易経一日一言」竹村亞希子著 致知出版社>

 

 

世の中をよく観察し、謙虚に、礼節をわきまえ、ちょうど良い塩梅を見つけることが大事です。

 

 独創的でユニークな作品を遺した画家の立石大河亞氏(本名:立石紘一、タイガー立石)は、作品への評価が高まってきた30歳位のとき、安住・安定を嫌い突如イタリアに移住しました。

言葉もお金も人脈も無いままで・・・。

 

 

限度、適度を知るには、自分は何をどうしたいのかという目的が必要です。

 

誰かの評価を当てにしたものではなく、自身が確信する目的です。