幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し 丈夫玉砕すとも甎全を恥ず 一家の遺事人知るや否や 児孫の為に美田を買わず
(何度も何度もつらいことや苦しいことを経験した後、志というものは初めて固く定まるものである。
志を持った本当の男子は、玉となって砕けることがあろうとも、
瓦を敷いた道を歩むように、ただ保身を図り無為に長生きすることを恥とする。
自分は残しておくべき家訓があるが、誰がそれを知っているであろう、いや知るまい。
それは子孫のために良い田を買わない、ということだ。)
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
「子孫に美田を残さず」という諺につながった、西郷隆盛の漢詩です。
人生の中で艱難辛苦を経験し、それを乗り越えることでこそ自分の志が揺るぎないものになり、その志で世を良くしていくことが大事なのです。
安全な道を歩む人生、保身を図るような人生は、取るに足らないということです。
そして、自分の子孫にそんな生き方をさせないため、財を残してはいけないということになります。
与えられた一度だけの人生、あらかじめ敷かれたレールの上を行くことに意味は感じられません。
単純に面白くないですし、誰かの上塗りをするような人生はもったいないものです。
何もないところから日々を生き抜き、やがて揺るぎない志を打ち立て、終生その実現にまい進することこそ、生きる意味だと感じます。
その一方、財産には魔物のような魅力があることは認めざるを得ません。
ここで考えねばならないのは、財そのものは手段でしかないということです。
財という手段を用いて、何の目的を果たすのか。
目的が無いのなら、それらの財はまさに「宝の持ち腐れ」となります。
生涯をかけて財を貯めても、あの世には持っていけません。
まして遺産となると親族間の争いの種にもなり、逆に不幸を招き寄せてしまいます。
子孫のことを本当に大切に思うのなら、美田ではなく、志を残すことでしょう。
易経に、次の言があります。
「萃は亨る。王有廟に仮る。」〔沢地萃〕
(人や物が集まると欲心も集まり、争いが起こる。
豊かで富んだ時代は感謝の心を忘れ、人々は志を見失う。
豊かな時代こそ、気を集めて正し、引き締めて、志を立てることが大切である。)
<出典:「易経一日一言」竹村亞希子著 致知出版社>
日本が富んだ昭和の後半からの時代を生きている私など、もし先祖から美田を残されていたら、今ごろはもっと「ろくでなし」になっていたでしょう。
心して人生に対峙せねば、祖先、そして子孫に合わせる顔が無くなります。
志を残し、逝きたいものです。