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COLUMNSブログ「論語と算盤」

志を継ぐ

2021年6月15日

幾たびか辛酸しんさんて志始めて堅し 丈夫玉砕ぎょくさいすとも甎全せんぜんを恥ず     一家の遺事いじ人知るや否や 児孫じそんの為に美田びでんを買わず

(何度も何度もつらいことや苦しいことを経験した後、志というものは初めて固く定まるものである。

 志を持った本当の男子は、玉となって砕けることがあろうとも、

瓦を敷いた道を歩むように、ただ保身を図り無為に長生きすることを恥とする。

 自分は残しておくべき家訓があるが、誰がそれを知っているであろう、いや知るまい。

 それは子孫のために良い田を買わない、ということだ。)

<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>

 

 

「子孫に美田を残さず」という諺につながった、西郷隆盛の漢詩です。

 

 人生の中で艱難辛苦を経験し、それを乗り越えることでこそ自分の志が揺るぎないものになり、その志で世を良くしていくことが大事なのです。

安全な道を歩む人生、保身を図るような人生は、取るに足らないということです。

 

 そして、自分の子孫にそんな生き方をさせないため、財を残してはいけないということになります。

 

 

 与えられた一度だけの人生、あらかじめ敷かれたレールの上を行くことに意味は感じられません。

単純に面白くないですし、誰かの上塗りをするような人生はもったいないものです。

 

 何もないところから日々を生き抜き、やがて揺るぎない志を打ち立て、終生その実現にまい進することこそ、生きる意味だと感じます。

 

  

 その一方、財産には魔物のような魅力があることは認めざるを得ません。

ここで考えねばならないのは、財そのものは手段でしかないということです。

財という手段を用いて、何の目的を果たすのか。

目的が無いのなら、それらの財はまさに「宝の持ち腐れ」となります。

 

 生涯をかけて財を貯めても、あの世には持っていけません。

まして遺産となると親族間の争いの種にもなり、逆に不幸を招き寄せてしまいます。

 

 

子孫のことを本当に大切に思うのなら、美田ではなく、志を残すことでしょう。

 

 

 易経に、次の言があります。

 

     「すいとおる。王有廟おうゆうびょういたる。」〔沢地萃たくちすい

      (人や物が集まると欲心も集まり、争いが起こる。

        豊かで富んだ時代は感謝の心を忘れ、人々は志を見失う。

 豊かな時代こそ、気を集めて正し、引き締めて、志を立てることが大切である。)

<出典:「易経一日一言」竹村亞希子著 致知出版社>

 

 

 日本が富んだ昭和の後半からの時代を生きている私など、もし先祖から美田を残されていたら、今ごろはもっと「ろくでなし」になっていたでしょう。

 

心して人生に対峙せねば、祖先、そして子孫に合わせる顔が無くなります。

 

 

志を残し、逝きたいものです。