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COLUMNSブログ「論語と算盤」

仁と言

2022年11月4日

あるひとわく、ようや、じんにしてねいならず。のたまわく、いずくんぞ佞をもちいん。人にあたるにこうきゅうもってすれば、しばしばひとにくまる。の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。〔公冶長第五〕

(ある人が「雍(孔子の門人)は仁者だが、口下手で人を説き伏せる能力がありませんねえ」と言った。

 先師が言われた。「どうして口達者であることが必要であろうか。人と話し合うのに、その時には人を言いくるめることができても、却って人に憎まれることが多い。雍が仁者であるかどうかは知らないが、仁者はどうして口達者である必要があろうか。」

<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>

 

 

 

 

巧言令色鮮仁に通じる言です。

 

 

仁者であれば口下手でも構わない。

 

 

いや

口上手であってはならないのだ

 

というほどの思いが感じられます。

 

 

 

21世紀の今日、言葉は大量に流れています。

 

美しい言葉、心にみる言葉、考えさせられる言葉、希望の言葉

他方、ぼう中傷、悪口、陰口、批判、じょくさげすみなども・・・

 

 

これらの言葉は、そのような心の有り様から生じるのでしょう。

 

 

特に見苦しいのは、政治やマスコミ、メディアの分野です。

 

 

 

仁、その跡形あとかたもなく

 理想を語る人もおらず

  けたたましく口先で罵るのみ

   顔つきさえ、もはや餓鬼がきの様相

 

 

いま私たちは、人としてのあるべき姿、生きることの意義について、明確に認識できなくなっているのでしょうか。

 

 

国家のちょうらく

先の見えない国際社会

人類存続の如何いかん

 

これらから生ずる不安

 

 

不安を他者にぶつけることで、ごまかしているのか。

 

 

 

口上手でなく、仁であれ

 

 

文明も文化も発達したらしい・・・現代

いまそこに生きる私たちはしかし

その内面は実のところ劣化しているのかもしれません。

 

 

なんとかしたいと感じることしきりです。

 

 

 

 

一方で、美しい言葉、愛の言葉、心に沁みる言葉、希望の言葉

 

これらを耳にする機会が多くなっているようにも感じます。

 

 

救い

 

このような言葉を大切に

 

 

 

 

口上手でなくても良い

 

良い言葉を一言発することさえできれば

 

 

 

「仁」であることとは・・・

 

迷いと不安に溺れそうないまの時代こそ

 

先人に教えを乞うときではないでしょうか