或ひと曰わく、雍や、仁にして佞ならず。子曰わく、焉んぞ佞を用いん。人に禦るに口給を以てすれば、屢人に憎まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。〔公冶長第五〕
(ある人が「雍(孔子の門人)は仁者だが、口下手で人を説き伏せる能力がありませんねえ」と言った。
先師が言われた。「どうして口達者であることが必要であろうか。人と話し合うのに、その時には人を言いくるめることができても、却って人に憎まれることが多い。雍が仁者であるかどうかは知らないが、仁者はどうして口達者である必要があろうか。」
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
巧言令色鮮仁に通じる言です。
仁者であれば口下手でも構わない。
いや
口上手であってはならないのだ
というほどの思いが感じられます。
21世紀の今日、言葉は大量に流れています。
美しい言葉、心に沁みる言葉、考えさせられる言葉、希望の言葉
他方、誹謗中傷、悪口、陰口、批判、侮辱、蔑みなども・・・
これらの言葉は、そのような心の有り様から生じるのでしょう。
特に見苦しいのは、政治やマスコミ、メディアの分野です。
仁、その跡形もなく
理想を語る人もおらず
けたたましく口先で罵るのみ
顔つきさえ、もはや餓鬼の様相
いま私たちは、人としてのあるべき姿、生きることの意義について、明確に認識できなくなっているのでしょうか。
国家の凋落
先の見えない国際社会
人類存続の如何
これらから生ずる不安
不安を他者にぶつけることで、ごまかしているのか。
口上手でなく、仁であれ
文明も文化も発達したらしい現代
いまそこに生きる私たちはしかし
その内面は実のところ劣化しているのかもしれません。
なんとかしたいと感じることしきりです。
一方で、美しい言葉、愛の言葉、心に沁みる言葉、希望の言葉
これらを耳にする機会が多くなっているようにも感じます。
救い
このような言葉を大切に
口上手でなくても良い
良い言葉を一言発することさえできれば
「仁」であることとは・・・
迷いと不安に溺れそうないまの時代こそ
先人に教えを乞うときではないでしょうか