事に処し物に接して、此の心を錬磨すれば、人情事変も亦一併に練磨す。〔晩録二二一〕
(事を処理したり、物に接していくときに、自らの心を錬磨していけば、人の心や世の中の変化に向かう心構えも、また一緒に磨き上げていくことができる。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
自分の身の回りのもの
日々起こること
全てていねいに
心を込めて対処すること
これはとても大事なことだと思います。
ていねいに扱うのは、それを大事に、大切に思うからです。
そして、ていねいに扱うことで、それが大事なもの、大切なものになっていきます。
大事なもの、大切なもの、誰にでもあると思います。
もらったプレゼント、記念品、形見、自分の力作…。
そういうものは、ていねいに、心を寄せて扱うはずです。
そうすることで、ますます大事なもの、大切なものになっていきます。
つまり、ていねいに扱えば、さらに大事なもの、大切なものになっていくのです。
この効果を活かせば、自分と触れ合う物、人、事象、全てにていねいに対処することで、全てが大事なもの、大切なものになっていきます。
やがて私の周りは宝物で埋め尽くされることでしょう。
小さいころ、プレゼントをもらうと嬉しかったものです。
抱き締めて寝た記憶がある方も少なくないでしょう。
ただし、やがてその感動や興味は薄れてしまいます。
そして、さらに時間が経つと、プレゼントをもらう機会さえなくなります。
もっとも、プレゼントを誰かに贈るという、良き機会も増えてきます。
もらって嬉しかった感動を、次の世代に贈る
良い循環です。
ところで私たちは、実は、“生”という“最幸”のプレゼントを天からもらっています。
さらにそれだけでなく、天は次々と私たちにプレゼントを贈り続けてくれています。
身の回りの物、人々、事象、これらは途絶えずに天から贈られてくるプレゼントです。
それは私だけの
私だけが触れられる
私独自の組み合わせからなる
私の生の瞬間
これこそが、天からの絶え間ないプレゼントです。
生を授かり、さらにその上、刻々と変化する環境を与えてもらっているのです。
小さいころもらったプレゼントとは違い、ていねいに対処すれば、感動や興味が薄れることはありません。
薄れたと感じるのは、ていねいに対処していない証です。
生まれたこと
その後におきる日々の様々な事柄
それら身の回りのものを大切に扱うこと
それによって周囲が宝物で埋め尽くされる
良きことと感じることばかりではない
しかしそれをもていねいに扱うこと
それによって磨いた心で
今度は周囲にお返しする
これこそが真の良き循環です。
「しずかに思量すべし、いまこの生、および生と同生せるところの衆法は、生にともなりとやせん、生にともならずとやせん。
一時一法としても、生にともならざることなし、一事一心としても、生にともならざるなし。」
『正法眼蔵』「全機」
(静かに考えて(思量)みるがよい。いま生きていて、この生とともにおこる様々なことは、この生に伴っておきているのであろうか、あるいはこの生とは別なものなのであろうか。それはいわずもがな、いついかなることであっても、この生とともでないことはない。どのような時のどのような思いも、ひとつとしてこの生と決して別なものではない。)
〔四月二十日〕
<出典:「道元一日一言」大谷哲夫編 致知出版社>