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COLUMNSブログ「論語と算盤」

全部大切

2022年10月7日

事に処し物に接して、の心をれんすれば、人情事変もまたへいに練磨す。〔晩録二二一〕

(事を処理したり、物に接していくときに、自らの心を錬磨していけば、人の心や世の中の変化に向かう心構えも、また一緒に磨き上げていくことができる。)

<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

自分の身の回りのもの

日々起こること

全てていねいに

心を込めて対処すること

 

 

 

これはとても大事なことだと思います。

 

ていねいに扱うのは、それを大事に、大切に思うからです。

そして、ていねいに扱うことで、それが大事なもの、大切なものになっていきます。

 

 

大事なもの、大切なもの、誰にでもあると思います。

もらったプレゼント、記念品、形見、自分の力作…。

そういうものは、ていねいに、心を寄せて扱うはずです。

そうすることで、ますます大事なもの、大切なものになっていきます。

 

つまり、ていねいに扱えば、さらに大事なもの、大切なものになっていくのです。

この効果を活かせば、自分と触れ合う物、人、事象、全てにていねいに対処することで、全てが大事なもの、大切なものになっていきます。

 

 

やがて私の周りは宝物で埋め尽くされることでしょう。

 

 

 

小さいころ、プレゼントをもらうと嬉しかったものです。

抱き締めて寝た記憶がある方も少なくないでしょう。

 

ただし、やがてその感動や興味は薄れてしまいます。

そして、さらに時間が経つと、プレゼントをもらう機会さえなくなります。

もっとも、プレゼントを誰かに贈るという、良き機会も増えてきます。

 

 

もらって嬉しかった感動を、次の世代に贈る

 

良い循環です。

 

 

 

ところで私たちは、実は、“生”という“最幸”のプレゼントを天からもらっています。

 

さらにそれだけでなく、天は次々と私たちにプレゼントを贈り続けてくれています。

身の回りの物、人々、事象、これらは途絶えずに天から贈られてくるプレゼントです。

 

 

それは私だけの

私だけが触れられる

私独自の組み合わせからなる

私の生の瞬間

 

 

これこそが、天からの絶え間ないプレゼントです。

 

 

生を授かり、さらにその上、刻々と変化する環境を与えてもらっているのです。

小さいころもらったプレゼントとは違い、ていねいに対処すれば、感動や興味が薄れることはありません。

薄れたと感じるのは、ていねいに対処していない証です。

 

 

生まれたこと

その後におきる日々の様々な事柄

それら身の回りのものを大切に扱うこと

それによって周囲が宝物で埋め尽くされる

 

良きことと感じることばかりではない

しかしそれをもていねいに扱うこと

それによって磨いた心で

今度は周囲にお返しする

 

 

これこそが真の良き循環です。

 

 

 

「しずかにりょうすべし、いまこのしょう、および生と同生せるところの衆法しゅほうは、生にともなりとやせん、生にともならずとやせん。

 一時一法としても、生にともならざることなし、一事一心としても、生にともならざるなし。」

『正法眼蔵』「全機」

(静かに考えて(思量)みるがよい。いま生きていて、この生とともにおこる様々なことは、この生に伴っておきているのであろうか、あるいはこの生とは別なものなのであろうか。それはいわずもがな、いついかなることであっても、この生とともでないことはない。どのような時のどのような思いも、ひとつとしてこの生と決して別なものではない。)

〔四月二十日〕

<出典:「道元一日一言」大谷哲夫編 致知出版社>