武士の大括りの次第を申さば、先ず身命を主人に篤と奉るが根元なり。斯くの如くの上は何事をするぞといへば、内には智仁勇を備ふる事なり。三徳兼備などと云へば、凡人の及びなき事の様なれども、易きことなり。智は人に談合するばかりなり。量もなき智なり。仁は人の為になる事なり。我と人と比べて、人のよき様にするまでなり。勇は歯嚙みなり。前後に心付けず、歯嚙みして踏破るまでなり。此の上の立ち上りたることは知らぬ事なり。さて、外には風体・口上・手跡なり。これは何れも常住の事なれば、常住の稽古にて成る事なり。大意は閑かに強みある様にと心得べし。此の分、手に入りたらば、国学を心懸け、其の後気晴らしに諸芸能も習ふべし。よく思へば、奉公などは易き事なり。今時、少し御用に立つ人を見れば、外の三箇条迄なりと。
(武士としての大まかな心がけといえば、まず身命を主人にすべて捧げつくすことが中心である。その上は何をするかというに、心のうちには智、仁、勇を備えることである。
この三つの徳をかね備えるなどといえば、ひどくむずかしいことのようだが、実はたやすいことである。
智を備えるには人々と話し合えばよい。はかり知れぬほど豊かな知恵を授かるであろう。
仁とは人のためにつくすことである。自分の立場と人の立場をひきくらべ、人によいようにと心がければ仁をなすことができる。
勇とは歯がみしてことに当たることをいう。後先のことを心におかず、歯がみして踏破る心がすなわち勇である。
これ以上の、思い上がった理屈は知らぬ。
さて、外目に見える点での心得として必要なのは、容姿、口のききよう、文字である。これらは、みな日常のことであるから、ふだんの稽古によって身につけられるものである。大まかにいえば、落ついて、力づよいようにと心がけよ。
以上のことを身につけたならば、お国の歴史、伝統を学び、そののち、気ばらしにいろいろな技芸をも習えばよい。
よく考えて見れば奉公などはたやすいもので、現在、少しくお役に立っていると思われる人を見れば、右の三ヶ条を心得ているにすぎない。)
<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
智仁勇を身につける具体的な方法が明快に述べられています。
「智」を備えるには人と話して知恵を得ること
隣近所、家族や親戚、
組織なら同僚、取引先、顧客など。
穏やかに過ごすこと、会社業績を向上させること
これらに必要なことですが、果たして十分でしょうか。
人からの情報は、それだけでは単なる要素でしかなく、知識化してこそ知恵になります。
そして、その知恵を活用することができれば、それは社会のためになり、組織のためになり、翻って様々な場面で重用されるでしょう。
「仁」とは人のために尽くすこと
自分の周囲にいる人に気を配り、その人が良くなるように心がけることです。
ただし、そのような配慮が正しく通じるか、正しく受け止められるかには注意を払うべきです。
見下すような態度なら、相手には伝わりません。
また、そんな気づかいを悪用するような不埒な者もたまにいます。
「勇」とは歯噛みして踏破ること
何に対して歯噛みするか
私生活では、やはり自分の生き様を天に問うということでしょう。
己の未熟な部分に対して歯嚙みし、悪い習慣や考え方を捨て去ることです。
組織では、経営理念に沿っているのか、天との対話をもとに、現状に発奮し、あるべき姿に向けて邁進することです。
これができれば、組織に悪事が生じることはないでしょう。
その他の心得もあります。
「容姿」
姿勢と表情が大切
背筋は伸びていますか
ふんぞり返っていませんか
腰骨は立っていますか
厳つい顔つきではありませんか
「口」
多弁であることは避けた方が無難でしょう。
力強さを意識せよとのことですから、必要な場面で必要な言を発することが重要です。
聡明才弁はどうしても軽んじられるものです。
「文字」
下手でも丁寧に書くようにと、小さい頃よく言われました。
やはり、落ちついて、丁寧に、力強く表現したいものです。
そういう字をよく観察し、自分のものにしたいですね。
奉公はたやすいとのこと
つまり人としての基本はたやすい
だからきちんと身につける
このような意識と振る舞いに加え
「離見の見」の心構えも忘れてはなりません。
※離見の見:世阿弥の能楽論。自分の演技について客観的な視点を持つこと。