作略は平日致さぬものぞ。作略を以てやりたる事は、その迹を見れば善からざること判然にして、必ず悔い有る也。唯戦に臨みて作略無くばあるべからず。併し、平日作略を用れば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。孔明は平日作略を致さぬ故、あの通り奇計を行われたるぞ。予嘗て東京を引きし時、弟へ向い、是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆえ、跡は聊か濁るまじ、夫れ丈は見れと申せしとぞ。
(策略やはかりごとは普段は用いてはならない。策略をもって行ったことは、その後の結果がよくないことがはっきりしていて、必ず悔いることになる。ただ戦争の時だけは、策略がなければいけない。
しかし、日ごろから策略を用いてばかりいると、いざ戦いということになった時、策略が決してうまくいかなくなる。諸葛孔明は平和な普段は策略など使わなかったから、いざという時、あのように思いも寄らない策略や戦術が功を奏することになったのだ。
かつて自分(南洲翁)が東京を引き揚げる際、弟(西郷従道、のち海軍大臣)に向って言ったのである。「自分はこれまで少しも、はかりごとをやったことがないので、ここ(東京)を引き揚げた後も、その跡は少しも濁ることはなく、何一つ非難を受けるようなことはあるまい。それだけはよく見ておいてくれ」と。)
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
天の意向に従う西郷さん
はかりごとをしたことはない
間違いなくそうだったのでしょう
天の働き、自然の流れに反して利己的な仕掛けを行うと、必ず問題や争いごとが生じます。
戦後、日本の様々な側面における凋落ぶりについて、安岡正篤師は警告を発しています。
「日本の行詰りは意外に速く且だらしがなかった。その根本的な一原因は、戦後意外に速く復興し繁栄したのに気を好くして、世をあげて小の字のつく者がはびこったことである。小利口者、小才子、小ずるい輩から、小悪党など。
~中略~これから日本人は心を入れかえて人間を修養し、生活を正し、事業を興さねば、益々危うくなると思う。」
〔二月十一日〕
<出典:「安岡正篤一日一言」安岡正泰著 致知出版社>
1983年に他界された師の危機感
40年後のいま
ますますその深刻さを深めます。
小の字のつく者、小人は、自分さえよくなればという浅薄な考えで、はかりごとを用います。
そしてそんな小人は、時とともに増えてきているようです。
まるで、無防備な心の隙に入り込む、怠惰、安住、他責、無関心という症状を生む感染症のようです。
ウイルスや細菌による病より質が悪く、気づかないうちに蔓延します。
悪いことに、感染、蔓延しても認識しづらく、問題視される機会もほとんどありません。
ただし、破滅に向かって引導されていることに疑いの余地はありません。
落ちぶれる為政者
冒険や挑戦に怯える経営者
安閑に溺れて迷う人々
小人が増えれば
自らのはかりごとで
自滅してく人がその分増えます
このままでは、将来の子々孫々に対して申し訳が立ちません。
日本の未来、世界の未来、人類の未来に対する責任
この責任を受け止め、果たさねばなりません。
心を磨き
正々堂々と
真剣に次の一歩を踏み出していかねばなりません。