存養の足ると足らざるとは、宜しく急遽なる時の事に於て自ら験すべし。〔晩録二一六〕
(精神修養が十分にできているかどうかは、急ぎ慌てているときに自分自身で判断してみればよい。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
急いでいるときや大事な場面
そんなとき修養不足が表れます。
他方、そんな緊迫した状態の最中に、自分を客観的に眺められること自体、ある程度の修養ができていてこそなのでしょう。
緊迫するような場面、例えば人に会うということは、大なり小なり大切な場面です。
説明したり、話し合ったり、お詫びしたり、お願いしたりされたりと・・・
人前で話さなければならないときなど、かなり緊張する場面です。
こんなとき、色々な準備をするのでしょうが、最も重要なのは心の準備です。
どういう心構えでその場に臨むか、この準備ができていればおそらく大丈夫でしょう。
そしてその場面では、自分の意識を自分の中心に置いて、目に映るものを前にして、どう心を安定させながら振舞うか。
と同時に、自分の意識を自分の身体から離し、自らを鳥瞰する。
これらをこなす心の準備こそ最も重要です。
ところで、これからの時代は大きな変化が訪れるでしょう。
いわゆる産業革命は、芽吹いたときから半世紀後に、鉄道が生まれたことによって大きく社会構造を変えました。
ITが芽吹いたときを1980年とするなら、2030年というわけです。
今までのITは、要するにシステム化と効率性を高めたレベルであり、産業構造、社会構造を根本的に変革させてはいません。
いよいよ、そろそろなのです。
どういう革命が起きるのか、誰にもわかりません。
起きた後でしか認識できないでしょう。
まさにいま、時代の潮目が変わっている最中
その変わりゆく時代のど真ん中にいるのは
他でもない
いまを生きているあなた、私
そんな私たちが、いまこそなすべきは、「生き方改革」です。
働き方改革などというチマチマしたものではありません。
自らの人生をどう彩るか、自分でデザインしなくてはなりません。
この人生をいかに生きるか、それを定めて実行する。
これが修養そのものになります。
「天命は動きのとれないものではなく、修養次第、徳の修めかた如何で、どうなるか分からないものである。
決して浅薄な宿命観などに支配されて、自分から限るべきものではない。」
〔二月六日:知命・立命・天命〕
<出典:「安岡正篤一日一言」安岡正泰著 致知出版社>
人生百年時代
今までの習慣、成り行き任せの日常、その延長線上を歩むのなら、人生を実らせることはできないでしょう。
自らの「生き方改革」に取り組まねばなりません。