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COLUMNSブログ「論語と算盤」

生き方改革

2022年9月2日

存養そんようの足ると足らざるとは、よろしくきゅうきょなる時の事において自らけんすべし。〔晩録二一六〕

(精神修養が十分にできているかどうかは、急ぎ慌てているときに自分自身で判断してみればよい。)

<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>

 

 

 

 

急いでいるときや大事な場面

 

そんなとき修養不足が表れます。

 

 

 

他方、そんな緊迫した状態の最中に、自分を客観的に眺められること自体、ある程度の修養ができていてこそなのでしょう。

 

 

 

緊迫するような場面、例えば人に会うということは、大なり小なり大切な場面です。

 

説明したり、話し合ったり、お詫びしたり、お願いしたりされたりと・・・

 

人前で話さなければならないときなど、かなり緊張する場面です。

 

 

こんなとき、色々な準備をするのでしょうが、最も重要なのは心の準備です。

 

どういう心構えでその場に臨むか、この準備ができていればおそらく大丈夫でしょう。

 

 

 

そしてその場面では、自分の意識を自分の中心に置いて、目に映るものを前にして、どう心を安定させながら振舞うか。

 

と同時に、自分の意識を自分の身体から離し、自らを鳥瞰する。

 

 

これらをこなす心の準備こそ最も重要です。

 

 

 

 

ところで、これからの時代は大きな変化が訪れるでしょう。

 

いわゆる産業革命は、芽吹いたときから半世紀後に、鉄道が生まれたことによって大きく社会構造を変えました。

 

ITが芽吹いたときを1980年とするなら、2030年というわけです。

 

今までのITは、要するにシステム化と効率性を高めたレベルであり、産業構造、社会構造を根本的に変革させてはいません。

 

いよいよ、そろそろなのです。

 

どういう革命が起きるのか、誰にもわかりません。

起きた後でしか認識できないでしょう。

 

 

まさにいま、時代の潮目が変わっている最中

 

その変わりゆく時代のど真ん中にいるのは

他でもない

いまを生きているあなた、私

 

 

 

そんな私たちが、いまこそなすべきは、「生き方改革」です。

働き方改革などというチマチマしたものではありません。

 

自らの人生をどう彩るか、自分でデザインしなくてはなりません。

 

この人生をいかに生きるか、それを定めて実行する。

 

 

 

これが修養そのものになります。

 

 

 

 

「天命は動きのとれないものではなく、修養次第、徳の修めかた如何いかんで、どうなるか分からないものである。

 決して浅薄な宿命観などに支配されて、自分から限るべきものではない。」

 

〔二月六日:知命・立命・天命〕

 

<出典:「安岡正篤一日一言」安岡正泰著 致知出版社>

 

 

 

 

人生百年時代

 

 

今までの習慣、成り行き任せの日常、その延長線上を歩むのなら、人生を実らせることはできないでしょう。

 

 

自らの「生き方改革」に取り組まねばなりません。