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COLUMNSブログ「論語と算盤」

道に帰る

2022年8月23日

みちつね名無ななし。ぼくは小なりといえども、てんあえしんとせず。候王こうおうく守らば、萬物ばんぶつまさおのずかひんせんとす。天地相合って、もっかんくだす。人これをせしむくして、自ずからひとし。始めて制して名有り。名もまたすでに有り。れまた將にとどまるを知らんとす。止まるを知るはあやうからざる所以ゆえんなり。たとえば道の天下にるは、なお川谷せんこく江海こうかいに於けるがごときなり。

(もっとも恒常的な道というものは、名前を持たない。名前を持たない粗木のままの道。これはいたって小さいようだが、天下の人々はこれを卑しむことはない。

 諸侯、王たるものがこの粗木のままの道を守るならば、万物は自分のほうからこの諸侯、王に服従するであろう。

 万物のうちの最大なる天地も、和合することによって、つまり高い天が自分から降りてくることによって甘露の雨となる。

 それと同じように人民も、だれもこれに命令せずとも、自ずから生じ自ずから養い、平均な生活を得るものである。これをどうこうさせる、作為、命令する、そういうようなことをしてはならない。そういう意識があってはだめである。

 もともと道は無名であるが、無名なる粗木のままの状態に対してなんらかの手が加えられて、名前、なんらかの用途を持った器としての名前が生じる。いったん名前が生じると、次々にあらゆる差別の相が見えてくる。

 そこで、名前を忘れて、根本の所にとどまることを知るべきである。こうしてこそ危険がなくなる。

 例えばこの無名なる道、名前のない粗木のままの道、これと天下万物との関係、これはちょうど川や谷が海に対するのと同じである。

 つまり、川や谷は海に流れ込んではじめて安らかにとどまる。天下万物は、無名の道に帰ることにおいて安らかにとどまることができる。)

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

 

 

 

 

名前のない“道”

 

根源

 

 

 

そこから、万物は自然の働きで変化していきます。

 

そういう自然の働きを認識して逆らわないことが、人々の生活を守ることに繋がります。

 

 

これが主君、為政者、組織の長の役目です。

 

 

 

枝葉末節にこだわっては本質を見誤ります。

 

また、自然による変化の方向を無理に変えようとすると、自然の状態、平均的なあり方を失います。

 

例えば強制、命令、作為など。

これらがきっかけとなって、暴動や紛争が生じるのです。

 

 

かと言って放っておいたら、多少の混乱や言い争いなども起きるでしょう。

 

 

 

そこで、仁、義、礼、智、信を浸透させて

 

最低限の安全網を設けることになります。

 

 

 

 

天下の安らかさは根源にあるのです。

 

 

 

 

会社組織も同じ。

 

一人一人の社員の想いを真っすぐに発揮できればそれで良いのです。

 

ルールや規則を細かく設定すると窮屈になります。

何かをさせられるという、防御意識に染まります。

不自然な緊張や硬直的な思考は、道理から外れることもあります。

 

自由な発想が抑制されると、新たな付加価値を生み出す試みなど期待できません。

 

 

そうではなく、一人一人が自主的に節度を守ることを前提に、何をやっても何を言っても強圧的に排除されることはないという、心理的安全性で組織を染めることが大切です。

 

 

それでこそ一人一人が力を発揮できます

 

一人一人が輝くことができます

 

それが自然の働きなのです

 

 

 

経営層のみならず

 全ての管理職や各階層のリーダーが意識して

  自然の働きが発揮される組織を創らねばなりません。

 

 

 

 

人類は進化してきましたし

 

これからも進化していきます

 

それが自然の働きなのですから

 

 

 

 

しかし、ときには、残念なことに、

 誤って一国の長に就いてしまった

  小人の作為的な振る舞いが

   その進化を邪魔することがあります。

 

 

 

 

 

“道”

 

根源を意識し

 

根源に戻り

 

天道にもとづいた人道を歩んでいきましょう