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COLUMNSブログ「論語と算盤」

強かさの神髄

2022年8月19日

平日道を踏まざる人は事にのぞみ狼狽ろうばいし、処分の出来ぬものなりたとえば近隣にしゅっらんに、平生へいせい処分有る者は動揺せずして、とりまつく出来るなり。平日処分無き者は、ただ狼狽して中々取始末どころにはれ無きぞ。れも同じにて、平生道を踏み居る者にあらざれば、事に臨みて策は出来ぬもの也。、先年出陣の日、兵士にむかい、我がそなえせいせいただ味方の目を以て見ず、敵の心に成りて一つついて見よ、夫れは第一のそなえぞと申せしとぞ。

(常日ごろ道義を踏み行わない人、正しい生き方を行わない人物は、異変や不測の事態に出くわすと、あわてふためき、何をしてよいか分らぬものである。

 例えば、近所に火事があった場合、かねて心構えのできている人は少しも動揺することなく、これに対処することができる。だが、心構えのできていない人は、おろおろと狼狽して、何をしてよいか分からず的確に対処することができない。

 それと同じで、日ごろから正しい道を踏み行っている人でなければ、大きな出来事に出合った時、優れた対策は取れないものだ。私(南洲翁)が先年、出陣の際に兵士に向かって言ったことがある。

「自分たちの防備、戦闘態勢が十分であるかどうか、こちらの味方の目で見ないで、敵の視点に立って一つついて見よ。どう攻めるかを考えれば、弱点も見えてくる。それこそ最良の防備である。」

 そう訓示して聞かせたのだ。

<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>

 

 

 

したたかさとは何でしょうか。

 

 

 

以前、ある経営者に問われて考えたことがあります。

そのときは適切な返事ができませんでしたが、今日の言葉にヒントがあるようです。

 

 

 

主体となる側の者は、自組織の強みに目が行くものです。

勝利すれば、その強みの裏付けを得たとばかりに美酒に酔い、疑うことはありません。

しかし、ここに落とし穴があるのは明白です。

 

 

他方、客観する側の者は、その組織の弱みに目が行くものです。

よって、評論家や学者の見解は、たぶんに悲観的なものになります。

 

 

 

以上から、主体側は客観的視点を持つことで、落とし穴を埋めることが可能になります。

 

これが西郷さんの訓示です。

 

 

 

さらに強かさの条件を考えてみます。

 

 

人は苦境時には滅入めいりがちです。

悪いことばかり思い出し、自分の弱さをなげきます。

 

しかし他者から見ると、当の本人の自虐的思考は行き過ぎと感じることが多いものです。

 

悲観し過ぎているため、苦境を乗り越える力を生み出すことができません。

そういう苦境時こそ、客観的観点から自らの強みや良さを確認すべきです。

たとえ小さなものであったとしても、いくつか見出すことができれば、徐々に大きな力に変えられるはずです。

 

 

 

逆に順境時は鼻高々はなたかだか、自信ある言動が多くなります。

その行き過ぎた振る舞いを見る他者は、軽蔑するかもしれません。

 

順境時こそ、自らの弱みをきちんと見直して、やがて訪れる逆境に備えることが必要です。

 

 

 

時の流れは陰と陽を繰り返します。

 

そして一つの事象にも陰と陽の両側面があります。

 

 

 

強かさとは

様々な局面について

あなどることなくおびえることなく対峙し

平生は道義を踏み行い

正しい生き方を行うこと

これにより培われるのでしょう。