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COLUMNSブログ「論語と算盤」

命もいらず、名もいらず

2022年6月28日

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人はまつに困るものなりの仕末に困る人ならでは、艱難かんなんを共にし国家のたいぎょうは成し得られぬなり。どもようの人は、凡俗ぼんぞくの眼には見得みえられぬぞと申さるるにつきもう子に「天下の広居こうきょに居り、天下のせいに立ち、天下の大道たいどうを行う。こころざしを得れば民とこれり、志を得ざればひとりその道を行う。ふういんすることあたわず、貧賤ひんせんも移すこと能わず、威武いぶも屈すること能わず」といしは、今おおせられしごときの人物にやと問いしかば、いかにもその通り、道に立ちたる人ならではしょうは出ぬ也。

(命もいらぬ、名誉もいらぬ、官位や肩書も、金もいらぬ、という人は始末に困るものである。だが、このような始末に困る人物でなければ、困難をともにして国家の命運を分けるような大きな仕事を一緒に成し遂げることはできないのだ。しかしながら、こういう人物はなかなか普通の人の目では見抜くことはできない。

 そう南洲翁が言われた。

 そこで聞く者が、それは孟子が、

 「人は天下の広くに目をくばり、天下の正しい道に立って、人として正しい道を行うものだ。もし、志を見込まれて用いられたら国民とともにその道を行い、国のために働く。もし志を評価されず用いられない時は、たった独りでも信じる道を行えばよい。そういう人はどんな富や身分もこれをおかすことはできないし、いやしさ貧しさによって心がくじけることはない。また権威や力をもって、これを屈服させようとしても決してできない。」

 と言っておるのは今、南洲翁が言われたような人物の事ですかと尋ねたら、「いかにもその通りで、真に道理を行う人、正しく生きるという覚悟のある人物でなければ、そのような精神は得がたい」と答えられた。)

<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>

 

 

 

 

西郷南洲翁の生き様が表れています。

 

 

現代語訳の最後にある

「正しく生きるという覚悟」が問われています。

 

人類が地球上に現れて以来ずっと問われ続けています。

 

 

 

ただ生きるというだけでは

飯を食って糞をするだけの動物一般と同じ

 

 

人として生まれ出でた以上

 この世をどう良くしていくか

  皆が笑顔で生きるにはどうすれば良いか

   生を受けた者同士の調和をいかに図るか

    そういう課題を自らに課し

     自らの考えを志に昇華させ

      自分の人生で実践していかねばなりません

 

 

 

正しい道に則った志であれば

たとえ人々から認められなくとも

独りで淡々と取り組んでいくだけ

 

 

 

他者が

 服従すれば名誉をあげるよ

  身分を高めてあげるよ

   金をあげるよ

    などと言ってきても

     権力や暴力でその志を奪おうとしても

 

屈服しません。

 

なぜならば、生まれいずるときに天から授けられた

この世を良くするという使命を認識しているからです。

 

 

 

 

現代に生きる我々、特に若い人は迷っている人が多いと思います。

 

 

しかし

天の采配や大自然の意図で生じた

自分の人生

 

その意味を考えると

自ずと心から湧き出てくる力を感じるはず

 

その力を信じ、自らの道を進む

 

 

 

迎合

 愛想笑い

  表面だけの調和

   妥協

    美辞麗句

     人並みであること

 

どれもこれも一切不必要

 

 

 

生きて行く糧を得るための時務学※1を習得し

自身の心の中心に人間学※2を据え、実践の基礎とする

※1:その時代を務め上げるための必要な学び:末学

※2:徳性を養う、人間性を高めるための学び:本学

 

日常の中では

 身近にいる浅薄な思考の人から

  良悪ともに影響を受けるかもしれません。

 

 

しかしあなたがこれから死ぬまでずっと一緒にいるのは

 

他ならぬ「真のあなた」だけ

 

 

 

余計な情報に惑わされることなく

万一惑わされても軌道修正し

唯一無二の自分の一生

「真の人物」になることを願う