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COLUMNSブログ「論語と算盤」

天命を生きる

2022年7月1日

將に天下を取らんと欲してこれす者は、われの得ざるを見るのみ。天下は神器、爲すべからざるなり。爲す者はこれをやぶり、る者は之を失う。およものあるいは行き、或はしたがう。或はきょし、或はく。或は強く、或はよわし。或はり、或はやぶる。これを以て聖人はじんを去り、しゃを去り、たいを去る。

(天下を取りたいと願って、なんらかの行動を起こす、つまり俗人に気に入られるような行動を起こすものについては、私は彼らがけっして天下をとることができないとみる。天下というものは、これは非常に神秘な品物であって、なんらかの作為でもって取れるものではない。

 つまり天下のものごとは、意識して求めることはできないものだ。だから、自分から意識して何かをしようとする、これは必ず失敗に終わる。何かに執着する、握って放さない、そういう人は必ず結果的に失うであろう。

 天下のものは、あるものは先に立っている。あるものは人の後ろについてゆく。あるものは弱くゆるゆると息を吹き、あるものは強く息を吹き出す。あるものは強く、あるものは弱い、あるものは完成し、あるものは壊れる。そうなるままにまかせればいい。

 だから聖人は何か意識してすることはしない。目につくようなものを去る。おごりの気持ちを去る。それから中庸を過ぎたそういう行動をすべて去る。それというのは、聖人は無心である。求める心がないからだ。)

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

 

 

 

学業やスポーツの分野などでは、個人の技や知識のレベルが規定されています。

こういう人道の世界では、適切な目標設定と努力によって一定の成果が得られます。

 

 

しかし天の計らいによるものは、人為的に得ようとしても得られません。

 

得ようとすればするほど失うことになります。

 

 

 

この教えは、天下人や組織の長などが当てはまります。

 

織田信長は明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害しました。

豊臣秀吉も力で国を治めようとしたが、志半ばで病死しました。

 

それに対して徳川家康は泰平の時代の礎を築きました。

「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。」

〔徳川家康 遺訓〕

 

自力で取り仕切らず、世間の流れ、人々の心情、自分への敵意などにも配慮し、結果的に天下を取ったのです。

 

 

 

現代でも通じる真理

 

人々や世論が自分に寄ってきて、断ることができない状況になったとき、つまり天命が下ったときにこそ、その役割を担うのです。

 

 

残念なことに、いまの政治には期待できません。

国家のビジョンを語ることなどなく、ただ民衆に気に入られようと些末な点を誇張して叫ぶだけ。

 

産業界や行政組織にも期待ができません。

学閥や派閥でトップが決まるような組織ほど無責任な体質がはびこり、そこから生じる傲慢さが、事故や不祥事として表れています。

 

 

 

では私たちの人生

何を目標に

何を生き甲斐とすれば

 

 

「人と生まれた以上、本当に自分をきゅうじんし、修練すれば、何十億も人間がおろうが人相はみな違っているように、他人にない性質と能力を必ず持っている。それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる。これを“運命学” “立命の学”という。今日の言葉でいうならば“人間科学”というものだ。これが東洋哲学の一番生粋きっすいである。」

〔十一月六日〕

<出典:「安岡正篤一日一言」安岡正泰著 致知出版社>

 

 

自分が携えている性質と能力をしっかり認識し「一隅を照らす」

 

一人一人が持って生まれた力を存分に発揮し

本当の意味で自らを開花させたいものです