道を行う者は、固より困厄に逢うものなれば、如何なる艱難の地に立つとも、事の成否身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、自然心を動す人も有れ共、人は道を行うものゆえ、道を踏むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。故に只管ら、道を行い道を楽み、若し艱難に逢うて之を凌んとならば、弥々道を行い道を楽むべし。予、壮年より艱難と云う艱難に罹りしゆえ、今はどんな事に出会う共動揺は致すまじ。夫れだけは仕合せなり。
(正しい道を進もうとする者は、もともと困難なことに遭遇するものだから、どんな苦しい場面に立っても、そのことが成功するか失敗するかということや、自分が生きるか死ぬかというようなことに少しもこだわってはならない。
ことを行うには、上手下手があり、ものによってはよくできる人、よくできない人もあるけれども、道を行うことに疑いを持って動揺する人もあるかもしれないが、人は道を行わねばならぬものだから、正しい道を踏むという点では上手下手もなく、どうしてもできないという人もいない。
だからできることを精一杯、人として正しい道を行い、その道を楽しむくらいの心を持つべきだ。もし困難なことに遭って、これを乗り切ろうとするならば、いよいよ道理に従い、道を楽しむ境地にならなければならない。
自分も若い時分から、困難という困難に遭ってきたので、今はどんなことに出合っても心が動揺するようなことはないだろう。それだけは実に幸せだ。)
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
自分の心と天をつなげ
正しい道を歩む
正解などない
自分の心を通して天に問い
正しい道を見出し
それを淡々と進む
さまざまな困難を越えるたび
自らの人格を向上させ
徳を高めてゆく
さまざまな困難を乗り切るたび
次なる困難も大きくなる
それを楽しみ生きてゆく
現代社会に生きる自分の立ち位置など
風前の灯火
砂上の楼閣
もしも
いまの自分を支えてくれている人や組織が
なくなったなら
恐怖を感じる
しかしそれ自体を
真正面から受け止めて
道理に従い
楽しんで生きてゆく
自分が
自らの心と
天に問うて見出した正しい道
それは自分が考える人としての正しい道
だから
進めないことなどない
進むに上手下手もない
その道をただ進む
〔十月表紙〕
<出典:「坂村真民一日一言」坂村真民著 致知出版社>