人を欺かざる者は、人も亦敢て欺かず。人を欺く者は、卻って人の欺く所と為る。〔晩録二〇九〕
(人をだまさない者は、人もまた決してだまさない。人をだます者は、かえって人にだまされるようになる。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
短い文章による教えです。
人をだまさない人、それは真面目で誠実な人でしょう。
ただ、それだけなら他人にだまされる可能性は残ります。
なぜ、だまされないと言い切れるのか。
人をだまさない人
その人物像をもう少し詳しく考えます。
人をだまさない人というのは
邪心が無く
一時的な感情に振り回されず
世の流れに踊らされることもなく
自らを確立した人物
このような人が
他人をだまして何か得してやろうなどとは
決して考えないでしょう。
真面目で誠実というような表現に留まらない人物像
一方、人をだます人というのは、正反対の人をさします。
邪心があり
自分が得することだけに関心があり
隙あらば人をだましてやろうと考える
こんな人は、自分の得になりそうなことや
儲け話があったら、安易に乗ってしまうのではないでしょうか。
それが罠であったとしても、です。
こう考えると
今日の教えは単に一般論ではなく
賢者と餓鬼の違いを示しているようです。
さて、自分は、賢者とまではいかなくても
一方、餓鬼まで落ちぶれていないとしても
ではどっち寄りでしょうか。
自分の生き方
決して餓鬼の方に寄ってはなりません。
気を付けるべきは
資本主義に基づく私たちの現代の経済活動が
餓鬼のような行動に繋がらないようにしなくては
ならないということです。
資本主義経済のメリットを充分に理解した上で、
デメリットとなる餓鬼の側面を排除した考え方と行動が望まれます。
現代社会に生きる私たちにとって
「論語と算盤」という考え方や価値観こそ
望ましい社会への道筋を照らす光ではないでしょうか。
この世で日本にしかない大切な指針
京セラの名誉会長である稲盛和夫さんの著書に、次のような言があります。
「感性的、感覚的なことで悩んだり、ふさぎ込んではいけない。現世では、頭を悩まし、心を惑わすようなことはいくらでも起きてくる。そんなことで心労にとらわれても、何も解決しない。そんなことより精進に努めることだ。そうすれば、必ず魂は磨かれ、心は高まり、運命は開かれていく。」
<出典:「稲盛和夫一日一言」稲盛和夫著 致知出版社>
〔五月二十七日より〕
生涯をかけて精進できる対象が欲しいと思われるかもしれません。
しかし、それは誰もが取り組める身近なもの。
自己の修練、修養、修身でしかないはずです。
たとえ一生を尽くしても
会わねばならない
一人の人がいる
それは自分自身
<出典:「平澤興一日一言」平澤興著 致知出版社>
〔一月五日より〕
自分とはどういう人間なのか
どういう人間になりたいのか
どういう人間になるべきなのか