御閉門前方御着府の節、中屋敷へ御着成され候へば、月堂様の御内方様お出会、「御遠島の取沙汰に付皆々申合ひ、その節は六ヶ所屋敷に火を懸け、残らず切死仕る覚悟に候間、跡の儀お心遣なく、公儀にて潔く仰達せられ候様に」と御申し候。次の間には、武具ことごとく取出し候由。助右衛門殿話なり。〔聞書第四〕
(鍋島勝茂公は幕府から閉門を命ぜられるまえ、佐賀から江戸に出府された。江戸の中屋敷(御成橋内にあった)で一同が出むかえたときのことである。御長男元茂様の奥方はこう申された。
「御遠島をおおせつけられるかもしれないと取沙汰されておりますので、みなで相談いたしました。いざというときは、六ヶ所の江戸屋敷に火を放ち、全員討死の覚悟でございますから、あとあとのことはご心配なく、いさぎよく公儀の判決をお受けなさいますように」
つぎの間には、あるかぎりの武具が並べられていたという。)
<出典:「続 葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>
葉隠の〔狂気の哲学〕には
すさまじい喧嘩や復讐の記録が残されています。
中には、女性が持つ武士道の心に触れたものもあります。
その多くは、主に対して
武士道を貫く生き様や死に様を薦めるものであり
ともに命を賭けた行動をとります。
この〔聞書第四〕に加え、次の〔聞書第九〕の記録もそうです。
<高木某という者が、近所の百姓三人を相手に口論し、田の中で打ちのめされて帰ってきた。女房がいうには、
「お前さまは死ぬことをお忘れではありませぬか」
「いや、忘れたことなどない」
某が答えたところ、女房は、
「人は一度は死ぬものでございます。病死、切死、切腹、しばり首と、死に方にはいろいろありましょうが、見苦しい死に方をなされたのでは無念でございます」
といいすてて外へ出ていった。やがて帰ってきた女房は、夜にはいって二人の子どもを寝かせつけると、松明を用意し、身支度を整えた。
「さっき見に行ってきましたが、三人がひとところに集まって相談しているようすでした。そろそろよいころあいと思います。さあ、お出かけを」
女房は夫をうながして先に立てた。夫婦はともども脇差を手にして踏み込み、三人に切りかかった。そして二人まで切り倒したが、一人は手傷を負って逃げおおせたという。
その後、夫は切腹をおおせつけられたという。>
女房は、夫に対して、武士道を全うするよう手伝っています。
当事者の夫よりも、客観的な女房の方が、
状況を適切に把握しているようです。
夫婦が協力して武士道を貫く
お互いは、強固な精神的絆でつながったパートナーであり
現代に増える離婚など、考えられなかったはずです。
万一別れる事態になったとしても
そのときはどちらかが死ぬ結果になったのではないでしょうか。
現代は
武士道を貫くために死に急ぐようなことはナンセンス
と考える人が多いでしょう。
しかし、それは単に、
安楽に生きたい、真剣に考えたくない、という思いから、
視野の外に追いやろうとしているだけではないでしょうか。
武士道は
そのような臆病で成り行き任せな生き方に
頭から冷や水を浴びせかけてきます。
一度の人生
長くとも、短くとも
大したことはできず、何も残すことができなくても
鮮に、潔く、精神の規律にもとづいて生きぬき
そして死んでいきたいものです。
その生き様、死に様は
あとに残る者に、勇気と尊厳
そして精神力を貫く高潔さと美を遺すはずです。