道を行うには尊卑貴賤の差別なし。摘まんで言えば、堯舜は天下に王として万機の政事を執り給え共、その職とする所は教師也。孔夫子は魯国を始め、何方へも用いられず、屡々困厄に逢い、匹夫にて世を終え給いしか共、三千の徒皆な道を行いし也。
(人としての道を行う、正しく生きるということに、身分の高い低いとか、職業や貧富などの区別はまったく関係ないものである。
昔のことを言えば、古代中国の堯・舜は国王としてあらゆる政治を行ったのだが、もともと二人の本質は教師、教育者であった。
孔子は魯の国をはじめ、政治家としてはほとんど用いられず、何度も困難な目に遭い、庶民として一生を終えたが、三千人と言われるその弟子たちは、皆その教えに従って正しく生きるということを実践したのである。)
<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>
正しく生きることは
身分や貧富、職業や学歴など
何の差別も受けることなく
誰にでもできる
堯や舜はもと教育者
孔子は三千の徒を導いた
正しく、人としての道に則った生き方を追求し、
そして実践し、自らを高めていく
ある時期、何かのきっかけで、人々が慕い、集まってくる
自らを高めるには、煩わしさのない自分になることが必要です。
今日の言葉の冒頭にある尊卑貴賤、これから脱せねばなりません。
苦境から脱するには、強い精神力が必要です。
一方、順境から脱することも容易ではありません。
裕福な家庭、身分の高い家柄、
経済的成功、一定の地位、名誉
程度や場面の違いはあるにせよ、多くがそこへの安住を良しとします。
やがて違和感に苛まれるものの、もはやすがることしかできません。
人の道を行うこと、正しく生きること
これは誰にでもできる反面
真に追及しようとするなら
自らを全くの「素」にすること
この境地に至りたいものです。
「私たちは魂だけをもって来世に行く。
財産も名誉も持っていけない。
一人で旅立たなければならない。
勲章は、より美しくなった魂、心の輝きだけなのである。」
<出典:「稲盛和夫一日一言」稲盛和夫著 致知出版社>
誰にでもできる
人としての最高の幸福
それは自分を高めること、自分の魂を美しく磨くこと