人各々分有り。当に足るを知るべし。但だ講学は則ち当に足らざるを知るべし。〔晩録二〇二〕
(人にはそれぞれ本分というものがある、それに満足して、貪らず、安らかに暮らすことが大切である。ただし、学問をする場合には、どこまでいっても、なお足らないことを知って努力を続けなくてはいけない。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
「時処位の自己限定」
ある時代、ある場所、ある地位・立場の中で生きる私たち
自らに与えられた「時処位」の中で
他を羨まず、現状を否定せず
日々を一所懸命に、誠実に、努力して生き抜くこと。
安らかに暮らすということは、
決して楽をする生活や気を抜いた生活という意味ではありません。
天から与えられた生に対して感謝し
いかに生きるかを天に問い
自らの想いや行いを修正しながら
真の面目を果たすために真面目に生きる
これが、安らかに暮らすための要諦ではないでしょうか。
安岡正篤師の「安岡正篤一日一言」(致知出版社)
「傳家寳」に次のような教えが示されています。
「五、事の前に在りては怠惰、事に当たっては疎忽、
事の後に於ては安逸、是れ百事成らざる所以なり。」
何か事に当たるときに、何の準備もせず、
安直で表面的な対処に終始し、
終わったら一目散に憩いの場に逃げ帰る。
こんなことでは何事も成し遂げられません。
「六、用意周到なれば機に臨んで惑うことなし、
信心積善すれば変に遭うて恐るることなし。」
仕事、そして日々の生活においては、この心構えが肝心要。
何事も準備八割、予測される事態に全て対処しておく周到さが必要です。
学問は、どこまで追求しても不完全であることを知り、
その上で、さらに突き進んでいく努力が必要。
それが人間学を学ぶこと、人間力を高めることになるのでしょう。
「三、良からぬ習慣に狎るべからず。人生は習慣の織物と心得べし。」
~ 人生は習慣の織物 ~
心に留め、自ら実践せねばならぬ教えです。