子曰わく、能く禮譲を以て國を爲めんか、何か有らん。能く禮譲を以て国を爲めずんば、禮を如何にせん。
(先師が言われた。「礼の根本である譲る心を以て国を治めれば、なんのむずかしいことがあろうか。その譲る心を以て国を治めなければ、礼制が如何に整っていても、どうしようもないであろう。」)
<出典:「仮名論語」伊與田覺著 致知出版社>
シンプルで核心を突いた教えです。
中身が大事なのであって、外枠さえ作れば良いというわけではありません。
「仏つくって魂入れず」
ところが、現代社会の多くの営みは、形式を重視し
中身を軽視する風潮が増えてきているように感じます。
それは、行政しかり、企業しかり、
よって学校や地域社会もその色合いが強まってきています。
「仏つくって魂入れず」では、
何の解決にも、改善にも、進歩にもならないことを
皆が知っているはずなのに、そうしてしまう。
私たちは、進歩ではなく、退化しているのでしょうか。
世界終末時計が、人類の滅亡までを残り数分と示しています。
核兵器による戦争が原因であり、
他にも公害、疫病なども考えられます。
しかし、実のところは、人間の心の退化によるものかもしれません。
見た目だけが近代化しても、それは砂上の楼閣
それをわかっていて
見映えを良くしようと、豪華に見せようと、金銭的成功をと
「魂」の無い領域で、意味のない戦いに身を投じる。
望みどおりになる可能性はほんの1%もないでしょう。
たまたま偶然を得た人がいたら、それを崇めたてまつり、
今度は自分がと、さらに深みに入り込む。
根本的に、無茶な話です。
最大多数の最大幸福
功利主義者のこの主張は、個人の尊厳や個人の自由を妨げるという批判があります。
しかし、それさえ実現できていません。
そしてまた、確かに個人の自由は大変重要です。
が、残念ながら、必ずしも皆が良い方向に進むとは限りません。
望むべくは、個人の尊厳と自由を確保した上で、
他者を敬い、譲り、礼のある、皆でともに生きて行く社会。
そう、良いとこ取り
二者択一ではなく、三者も四者も良いことを取り込みましょう。
そして、道徳心のある、真の「魂」を持った国にしていきましょう。