Loading

COLUMNSブログ「論語と算盤」

上善は水の若し

2021年5月25日

上善じょうぜんは水のごとし。水は善く萬物を利してあらそわず。衆人しゅうじんにくむ所にる。ゆえみちちかし。きょは地をしとし、こころふちを善しとし、ともじんを善しとし、言は信を善しとし、まつりごとを善しとし、事はのうを善しとし、動は時を善しとす。それだ爭わず、故にとがなし。

(世間で最もすぐれた徳とは、水のようなものである、水は万物に利益を与えながら、何者とも争うことはない。水は常に低い所に自ら好んで流れていくが、低い所は一般的に人が悪む場所である。よって、水は最高の道徳に近い。

 最高の道徳をわきまえた人の生き方は次のようなものである。住むのは低く平たい地。心の持ち方は深い池のように静かに。友を選ぶには情け深い友が良い。ものを言う場合は噓をつくことなく信頼を失わないように。政治に携わるのなら正しく治めるように。物事にあたっては有能に。行動は時に適うこと。道徳をわきまえた士は、このような良さを有する。そしてそれを他人に誇ることなく、また争うこともない。よって人からとがめられることもない。)

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

(訳は下記文献を参考に意訳)

<参考:「ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義」 

田口佳史著 致知出版社>

 

 水は、天から地上に降り、川を流れて低い所に向かいます。その途中、岩や藻から養分を得て、必要な所に供給します。そして最後には、蔑まれるような低位の場所に辿り着き、そこに寄り添うのです。

 

 日々の営みという人間的な視点からは、平和や争い、善行や犯罪、信頼や裏切りなど、たくさんの状況を学んで飲み込み、それらを最も低位の場所から眺めなおしているのでしょう。

 

私たちの行為の全てをお見通しというわけです。

 

 

 また、水は地球上で最強です。災害が水の力を利用したら、周知のように大津波・洪水・土石流など、とても人類が太刀打ちできるレベルの威力ではなくなります。

 

 

 今日の言葉は、最高の道徳をわきまえた人の生き方を示しています。

 また、水のような生き方も望ましいと思います。私見ですが、例えば、世の中の良いことを学び、悪いことも研究してその原因を探って対処し、助けが必要な人には支援をすること。そして一つの考え方に凝り固まることなく、水のように柔軟に形態を変化させながら物事に処していくこと。また、人生という流れの中で得られた多くの良き知見を、まるで苗を植えるかのように、世の中に蒔いていくこと。

 

重要なことは謙虚に生きる姿勢でしょう。自己主張は対立を生み、争いごとの火種になります。

良いことは黙って実践し、争いごとは避けること。それが老子の言う「道」、大自然の摂理です。

 

 

なくてはならないものでありながら、

 

日常ではその重要性に気付かれづらい存在。

 

まさに水のような存在こそ、間違いなく本当の価値があります。