上善は水の若し。水は善く萬物を利して爭わず。衆人の惡む所に處る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、與は仁を善しとし、言は信を善しとし、政は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。それ唯だ爭わず、故に尤なし。
(世間で最もすぐれた徳とは、水のようなものである、水は万物に利益を与えながら、何者とも争うことはない。水は常に低い所に自ら好んで流れていくが、低い所は一般的に人が悪む場所である。よって、水は最高の道徳に近い。
最高の道徳をわきまえた人の生き方は次のようなものである。住むのは低く平たい地。心の持ち方は深い池のように静かに。友を選ぶには情け深い友が良い。ものを言う場合は噓をつくことなく信頼を失わないように。政治に携わるのなら正しく治めるように。物事にあたっては有能に。行動は時に適うこと。道徳をわきまえた士は、このような良さを有する。そしてそれを他人に誇ることなく、また争うこともない。よって人からとがめられることもない。)
<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>
(訳は下記文献を参考に意訳)
<参考:「ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義」
田口佳史著 致知出版社>
水は、天から地上に降り、川を流れて低い所に向かいます。その途中、岩や藻から養分を得て、必要な所に供給します。そして最後には、蔑まれるような低位の場所に辿り着き、そこに寄り添うのです。
日々の営みという人間的な視点からは、平和や争い、善行や犯罪、信頼や裏切りなど、たくさんの状況を学んで飲み込み、それらを最も低位の場所から眺めなおしているのでしょう。
私たちの行為の全てをお見通しというわけです。
また、水は地球上で最強です。災害が水の力を利用したら、周知のように大津波・洪水・土石流など、とても人類が太刀打ちできるレベルの威力ではなくなります。
今日の言葉は、最高の道徳をわきまえた人の生き方を示しています。
また、水のような生き方も望ましいと思います。私見ですが、例えば、世の中の良いことを学び、悪いことも研究してその原因を探って対処し、助けが必要な人には支援をすること。そして一つの考え方に凝り固まることなく、水のように柔軟に形態を変化させながら物事に処していくこと。また、人生という流れの中で得られた多くの良き知見を、まるで苗を植えるかのように、世の中に蒔いていくこと。
重要なことは謙虚に生きる姿勢でしょう。自己主張は対立を生み、争いごとの火種になります。
良いことは黙って実践し、争いごとは避けること。それが老子の言う「道」、大自然の摂理です。
なくてはならないものでありながら、
日常ではその重要性に気付かれづらい存在。
まさに水のような存在こそ、間違いなく本当の価値があります。