少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。
(少年のときに学んでおけば、壮年になっても役に立ち、何事かをなすことができる。
壮年のときに学んでおけば、老いても気力の衰えることがない。
老年になって学んでおけば、若い者を指導することができ、死んでからもその名が朽ちることはない。
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
佐藤一斎の67歳から78歳にかけての語録である「言志晩録」において、学問についての意義を語った言葉です。
ここでいう学問には色々な領域や範囲が想像できますが、中心となるのは生き方、つまり人間学と捉えられます。
幼少から人間学に触れる機会があり、それに関心を持つことができれば、将来の活躍の場は広がることでしょう。また、大人になってからでも人間学を学ぶ意欲があれば、良き老年を過ごせることになり、そしてこれからの国を創り上げていく若者に良い知恵を授けることもできるわけです。
特に、会社組織などでリーダーの役割を担う人には、一層の人間学の習得が求められます。「器量」もさることながら、「度量」が無ければ、集団の牽引役としては不充分です。
「器量」とは、そのポジションにおける対処能力であり、巷で言われる「スキル」の類です。
それに対して「度量」とは、自分を批判するような部下の意見にでも耳を傾け、必要とあらば登用するような心の広さを意味するものです。
ところで易経では、人生や組織などの隆盛や衰退を龍の成長になぞらえて説明しています。
何の力も持たない幼い潜龍という時代から、成長に従って見龍、躍龍、飛龍、そして成功から衰退に向かう亢龍までとなります。これらの過程ごとに気を付けねばならない事柄が示され、それらをしっかり学ぶことで良い晩年を迎えることができるとされています。
(参考資料:「人生に生かす易経」竹村亞希子著 致知出版社)
紀元前八世紀ごろに書かれた東洋最古の書物とされる易経の考えは、現代にも充分通じます。
生きることは学ぶことであり、学問の意義はすなわち人間学の意義です。
自らの人生もそうですが、50年、百年、千年と続いてほしいこの国や世界、人々。
何を学び、何を伝えていくかを良く考え、たとえ些細な貢献しかできないとしても、人づくりと国づくりに役立つことを行っていきたいと思います。
日本を楽しい国にしよう 明るい国にしよう
国は小さいけれど 住みよい国にしよう
日本に生まれてきてよかったと言えるような国造りをしよう
これが21世紀の日本への私の願いだ
「坂村真民一日一詩」(藤尾秀昭・編)より