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COLUMNSブログ「論語と算盤」

成功や失敗はただの糟粕

2022年3月22日

つまだつ者は立たず。はだかる者は行かず。自らあらわるる者は明らかならず。自らとする者は彰われず。自らほこる者は功無し。自らほこる者は長からず。其れ道に在りてや、餘食よし贅行ぜいこうう。物つねにこれをにくむ。故に有道者ゆうどうしゃらざるなり。

(爪先で立とうとするものは、長くは立ってはおれない。両股をはだかるもの、これは一歩も歩けない。

 それと同じように、自分で自分をひけらかそうとするもの、これはかえって、自分の真実をおおい隠すものである。みずからを正しいとするものは、かえって名前が表れない。みずからの手柄に誇るもの、これはかえってその手柄をなくす。人が鼻について、だれもほめてくれなくなる。みずからの才能におごり高ぶるもの、これは長くは続かない。

 それらのもの、つまり外にひけらかされる自分、みずからを是とする、あるいはみずからの功績を誇る、そういったものはすべて、ほんとうの道と対比した場合、これは残りご飯、あるいは肉体におけるイボのようなものである。人はそういったものを見ることを必ず惡むであろう。

 だから、ほんとうに道をわきまえた人は、そういった外に表れた形、みせかけ、それでもって自分自身をわずらわそうとはしない。)

<出典:「老子講義録 本田濟講述」読老會編 致知出版社>

 

 

 

 講述の本田氏によれば、暗唱に便利なように、誌を作るように字数を勘定しているとのこと。

 

ちなみに、道徳眞經口義原文は以下となります。

 

跂者不立 跨者不行 

自見者不明 自是者不彰 自伐者無功 自矜者不長

其在道也 曰餘食贅行 物故惡之 故有道者不處也

 

 

 わかりやすい道理です。

 

自分を大きく見せようと爪先立つこと

 両足を広げてふんぞり返って虚勢を張ること

  自己主張の激しいこと

   自分こそが正しいとすること

    手柄をひけらかすこと

 

これらのことは永続しない。

 

残飯かイボのような余計なもの。

 

 

ほんとうの有道者は、これらのことが外に表れない。

 

形になって表れると、自分で自分をわずらわすことになるから。

 

 

 

こんな言葉を聞いたことがあります。

 

「成功」の反対はなに?

 

「失敗」

 

 

それは違う。

 

「成功」の反対は「なにもしない」

 

 

挑戦すること、開拓すること、修行すること、

これらを行えば、その結果、自分を高められます。

 

これが成果です。

 

 

しかし、その度合いはまちまちですし、ゴールはありません。

 

自分で自分に課した目標のために、継続して、一生をかけて取り組むことになります。 

 

 

 

そして、その過程で“成功”や“失敗”として表されるもの・・・・・・も付いてきます。

 

しかし、これらは取るに足らないもの。

 

今日の言葉では、人が嫌がる残飯かイボ程度のものとのこと。

 

 

 

ところが、多くの人はそれに執着してしまいがちです。

 

すると、そこで挑戦、開拓、修行が終わりとなります。 

 

 

 

渋澤栄一は、「論語と算盤」の中で

 

「成功や失敗のごときは、ただ丹精した人の身に残る糟粕そうはくのようなものである。」

「成功など、人として為すべきことを果たした結果生まれるカスにすぎない以上、

気にする必要など全くない。」 と言われています。

 

<出典:「月刊誌 致知」藤尾秀昭発行 致知出版社、

「現代語訳 論語と算盤」渋沢栄一著 守屋淳訳 ちくま新書>

 

 

目的を見失ってはなりません。

 

目的はあくまで、自らを高める挑戦、修養を行っていくことです。

 

 

それを自分の仕事にすることができれば、

 

それはとても幸せな人生と言えるでしょう。