人の一生には、順境有り、逆境有り。消長の数、怪しむべき者無し。余又自ら検するに、順中の逆有り、逆中の順有り。宜しく其の逆に処して敢て易心を生ぜず、其の順に居りて敢て惰心を作さざるべし。惟だ一の敬の字、以て逆順を貫けば可なり。〔晩録一八四〕
(人の一生には、順境もあれば逆境もある。これは栄枯盛衰の理法というものであって、少しもおかしなことではない。また私が自ら調べてみたところによると、順境のさなかにも逆境があり、逆境のさなかにも順境がある。だから、逆境にあるからといってやけくそになったり、順境にいるからといって怠け心を起こしてはいけない。ただ敬の一字を心に置いて順境も逆境も終始一貫すればいいのである。)
酔古堂剣掃に「名を成すは毎に窮苦の日に在り。事を破るは多く志を得るの日に因る。」とある。
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人生で必ず直面する、順境と逆境。
人によってその度合いや振れ幅には違いがあります。
思うに、大きな逆境を経験し、乗り越えた人ほど、
大人物になっているようです。
逆境こそが自分を変えられるチャンス、死中活ありと捉えるべきです。
人は、順境のときには、その状態を守ろうと変化を避けがちです。
その行動は、結局のところ順境を短命に終わらせ、逆境の足音を呼び寄せます。
今日の言葉は、逆境と逆境の最中において両者は混在していること。
よって、常に「敬」の心で処せば良いと教えてくれています。
(敬・・・物事を疎かにせず、慎んで行うこと。相手を尊んで、慎んで行動すること。)
順境でも逆境でも、泰然自若の構えで、
外的な変化に影響されず、
自らのなすべきことを慎んで行うことが大切です。
さらにこの心掛けを深めれば、逆境こそが天の恵みとさえなり得ます。
新潮社の創業者である佐藤義亮氏は、
その著書「生きる力」で特筆すべき経験を記されています。
浅草で商いを営む知人の家が全焼したことを聞き、翌日お見舞いに駆けつけたところ、なんとその知人は酒盛りをしている。
知人曰く「自棄になってこんな真似をしているのでないから、心配しないでください。私は毎日毎日の出来事はみな試験だ、天の試験だと覚悟しているので、何があっても不平不満は起こさないことに決めています。今度はご覧のような丸焼けで、一つ間違えば乞食になるところです。しかし、これが試験だと思うと、元気が体中から湧いてきます。この大きな試験にパスする決心で前祝をやっているのです。あなたもぜひ一緒に飲んでください。」
その凄まじい面貌は男を惚れさせずにはいられない。
知人は間もなく、以前に勝る勢いで店を盛り返したとのこと。
<出所:「人生の法則」藤尾秀昭著 致知出版社
原典:「生きる力」佐藤義亮著 発行広瀬書院 発売丸善出版>
順境であろうが、逆境であろうが、
常に天に見られ、試されているという心構えこそ、
人生を充実させる秘訣と言えるでしょう。
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして、己を尽くして人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし。
西郷隆盛
お天道様は、間違いなく私たち一人一人を見ているはずです。