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COLUMNSブログ「論語と算盤」

平和のための土台

2021年5月11日

まつりごと大体たいほんは、ぶんおこし、ふるい、のうはげますの三つに在り。その他百般ひゃっぱんの事務は皆の三つの物をたすくるの具なり。この三つの物の中に於いて、時に従い勢いにり、施行先後の順序は有れど、この三つの物を後にして、他を先にするはさらに無し。

(政治の根本は、国民の教育を充実させて、国の自衛のために軍備を強化し、食糧自給のため農業を奨励するという三つであろう。その他の様々な事業は、この三つの基本政策を助けるための手段である。

 三つの中で、時の成り行きによってどれを先にし、どれを後にするかの順序はあろうが、この三本柱を後回しにして、他の政策を先にするというようなことがあってはならない。)

<出典:「西郷南洲遺訓」桑畑正樹訳 致知出版社>

 

 

西郷隆盛(号は南洲)は、政治の根本を文・武・農の3つと言っています。

 

 日本は島国のせいもあり、他国からの脅威を肌で感じることはほぼありません。また、民族間や宗教間の争いの実態を実感する機会もありません。

しかし、ご存知のように、地球上では独裁や略奪など原始的で野蛮な行為・政治が平気で行われている国や場所が多数存在しています。

そのため、我が国を含む世界各国は、本日、他国から攻撃を受ける事態が勃発しても、何ら不思議ではないという状況に置かれているのです。

 

 このような有事のとき、国を存続させるための政治の在り方は、西郷南洲の考え方どおりではないでしょうか。

 

 

 先日、「ウィンストン・チャーチル~ヒトラーから世界を救った男」という映画を見ました。第二次世界大戦の初期、英国のエリート官僚は、戦況が不利と見るや、イタリアのムッソリーニを通じてドイツのヒトラーと和平交渉を結ぼうとします。

戦時体制下の首相チャーチルは、ギリギリまで戦い抜く姿勢でしたが、戦況は圧倒されつつあり、いよいよ進退行き詰ってきます。彼は最終的な決断の前、自ら地下鉄に乗って国民の声を聞きます。老若男女、その車両の全員が、国を守るために最後まで戦うべきだという勇気ある声を聞き、彼は決意します。

議会で、「ヒトラーに跪くのなら、ユニオンジャック(英国国旗)に替わってハーケンクロイツ(ナチス・ドイツの国旗)が国土をはためくことになるが、諸君はそれを望むのか?」

議員全員「NO!」

独裁主義が欧州全土を毒する、その瀬戸際で民主主義が息吹を得た重要な転換点です。

 

 このときの国民の勇気と誇り、たとえ最悪の結果になろうとも、最後まで国を守るために戦い続けるという総意は、まさに「文」、国民の誇り高い教養があってこそでしょう。このための教育が必要ではないでしょうか。

 ところが、我が国の現在の教育は正反対に進んでいるように感じます。偏差値の良い大学へ入るため、知名度の高い会社に入るために、盲目的に知識を詰め込むことを教育と呼んでいるようです。

ここから生まれてくるのは、利己心のみで形作られた「小人」だけでしょう。

 

 

 他国の攻撃で孤立してしまったとき、食糧が無ければ敗北です。そのための農業の振興が必要なのは言うまでもありません。しかし、現状を概観すると、旧態依然のままのように映ります。

テレビや新聞のニュースでは、欧州などでITを効果的に活用した農業改革が、着々と進んでいることがわかります。わが国はすでに農業後進国なのでしょうか。

 

 

 国として、自衛できるだけの武力は最低限必要でしょう。

いま日本が他国から侵略を受けそうになったとして、安全保障条約を盾にアメリカが代わりに戦ってくれることはあり得ません。アメリカは適当に戦力を供与するでしょうが、前線で体を張るのは、当然その国の人間と考えるでしょう。

日本人がぬくぬくと守られている中、米国の兵隊が命を懸けて日本人のために戦うなどという構図は絵空事でしかありません。希望的観測や空想は捨て、冷静に考えたいところです。

 

すると、我が国は防衛力を強化する必要があることは明白です。それは、量的問題ではなく、また従来の延長線上ではなく、テクノロジーを駆使した高度な武力の開発が望まれます。

例えば、強力な電磁波により、日本の制空域や排他的経済水域へ侵入する外国戦闘機や船舶の操縦を乱れさせるなど…。

 

「巨大化」がキーワードと感じます。東日本大震災の福島原発事故のとき、原子炉建屋へヘリコプターから海水を散布する映像を見ましたが、多くの人が落胆と絶望を感じたのではないでしょうか。

このとき、もし身長18mのガンダムを自由に操縦できていたなら、海から大きなバケツで海水をすくい、それを原子炉建屋上部から浴びせかけることができたでしょう。

 

 

私たち日本人は、身近に迫ってきている脅威について、もっと「自覚」すべきなのでしょう。

 

政府や学校が教えてくれないから? 

眼前の問題を他責にすり替えても、体を貫通する銃弾が鉛から変わることはありません。

何から着手すべきなのか、考えながら一歩ずつ進めて行きたいと思います。