一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うこと勿れ。只だ一燈を頼め。
(手元に一つの提灯をさげて暗い夜道を行くならば、闇夜を心配することはない。
ただその一つの提灯を頼りにして前進すればいいのだ。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
人生を賭けて、ただ一つのことに邁進することができれば、
それ以上の幸せは無いのかもしれません。
死の床で、後悔無しと感じられる人生は、あれもこれもに気を散らして形にできないままではなく、たとえ小さい事柄でも一つのことに取り組み、深掘りし、自分なりの、なにがしかの真理を得ることではないでしょうか。
以前にも書きましたが、死ぬ間際の最後の1分のために、数十年の人生を何か一つに賭けねば、そうはならないでしょう。
論語では、死に瀕した孔子が、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と述べています。
(朝、人としての道、真理を聞くことができたのなら、その日の夕方に死んでも悔いは残らない。)
2020年初春からの世界は、まさに闇夜です。失意、絶望の中でも生きていかねばなりません。
こんなときに重要なのは、周囲に惑わされない自律的思考です。他の人がやっているから私もやるというような他人基準の考え方では、自分の信念が融解し、一層不安感が増すことになります。
自分が培ってきた、一つの提灯を頼りに前進すること、それはまさに自らの信念であり、生きる目的です。信念や人生の目的、今こそ改めて考えたいものです。今は、そういうことを考える時間を与えられたと認識し、この禍を未来の種火にしなくてはなりません。
興味と関心の幅が広いのは悪いことではないでしょうが、ある時期からは余分なものを排除していくことが必要です。
前進する速度をあげて、その勢いでムダなものを削ぎ落とし、自分の使命と確信できる唯一に注力すること。
「一燈照隅 万燈照国」 (最澄)
一人一人が、自身の灯で、一隅をしっかりと照らすのなら、
その灯は万燈となり、国全体を明るく照らすことになるのです。