濁水も亦水なり。一たび澄めば則ち清水と為る。客気も亦気なり。一たび転ずれば則ち正気と為る。逐客の工夫は只だ是れ克己のみ。只だ是れ復礼のみ。
(濁った水でも水に変わりはない。一度澄めば、清らかな水になる。カラ元気でも、気には変わりない。一転すれば、至正至大な正気になる。カラ元気を追い払うには、ただ私欲に打ち克って、正しい礼にかえっていくのみである。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
私欲にまみれる姿は、哀れでみっともないでしょうが、人間ですから誰でも少しは私欲とともに生きているのでしょう。
そんな中、自分が真剣に向き合うときには、私欲に打ち克って(克己)、正しい「礼」の心がけに戻りたいものです。
真剣に向き合う事柄、私の場合は仕事になります。
会社員時代の20歳代半ば、「仕事とは、人に仕える事である」という当時の社長の話を聞きました。そのときは、正直ピンときませんでした。その約10年後、独立創業してから、仕事とは世の中を良くする事でなければならず、ひいては人々の幸せにつながらなければ意義が無いと考えることが日常になりました。
ここにおいて私欲は影を潜めているようですが、油断していると心のドアをノックしてきます。
「カラ元気」には色んな背景があると思います。私欲に絡めると、名誉欲や財産欲に引き付けられての元気ということでしょう。ちなみに、仏教では、食欲・睡眠欲・性欲・名誉欲・財産欲を五欲と呼んでいるようです。
名誉欲や財産欲に基づいた元気や勢いは、長続きしないようです。
自らの周囲を見渡すと、継続できているのは、正しいことを一所懸命に取り組んでいる組織や人であることに気づかされます。
なお、易経では、「存して亡ぶるを忘れず」として、調子に乗ってもっともっと強くなりたい、儲けたいなど、自らを駆り立てることを誡めています。その欲望は、ある程度思惑通りに進むかもしれませんが、それは時の勢いでしかなく、実は自分が自らに仕掛ける罠であり、やがてその罠に引っかかるとされています。(参考資料:「人生に生かす易経」竹村亞希子著 到知出版社)
米国心理学者のアブラハム・マズローは、晩年、欲求の最高位としていた5段階目「自己実現欲求」のさらに上位に「自己超越欲求」を据えたようです。
他己実現の欲求とも言われますが、私利や私欲でなく、他者の幸せを考えて、他者が成長して幸福になることを願い実現したいという欲求をさします。例えば何かアドバイスなどして、それを聞いて状況が良くなった人がいたらこちらも嬉しく感じます。このような感情を言うのでしょう。
「克己」、私欲に打ち克って、敬愛と感謝、そして世の中に役立つことを心がけて、
生きていきたく思います。