名誉は、人の争いて求むる所にして、又人の群がりて毀る所なり。君子は只だ是れ一実のみ。寧ろ実響有りとも、虚声有ること勿れ。〔晩録一八三〕
(名誉は人々が争い求めるものであり、また人々が集まってそしるものでもある。君子は、ただ一つの実あるを尊び、名は気にしない。むしろ、内実の伴った名声はあろうとも、上っ面だけの名声はあってはならない。)
<出典:「言志四録 佐藤一斎」渡邉五郎三郎監修 致知出版社>
地位や名誉が欲しい、尊敬されたい、チヤホヤされたい、
こういう願望は誰にでもあり、必然的と言われることもあります。
果たしてそうでしょうか。
また、今日の言葉のように、立派なあるべき姿を教えられても、
綺麗ごとだよ、もっと自分に正直になりなよ、人生楽しまなきゃ、
などという声も聞こえてきそうです。
よく考えると、これらはすべて真逆です。
盲目的に、このようなご都合主義に身を任せると、
美しい日々、純真な心、生きていくことの真の楽しさなど、
人としての幸福そのものを手放すことになります。
整理しながら考えてみましょう。
地位や名誉を得ること、尊敬されること、もてはやされること、
これらは他人からの評価です。
それらを求めるのなら、他人の目線に合わせなければなりません。
そこには、自分が生きる意味や使命を見出す機会はありません。
もちろん、真の意味での地位や名誉を結果的に得る人はたくさんいます。
それは今日の言葉で表されている「実響」、つまり内実の伴った名声です。
それに対して、他人基準に合わせるものは「虚声」であり、上っ面の名声です。
この虚声を得たとしても、悦楽を享受できるのはほんの束の間。
それを得るために、人生の価値をどれほど犠牲にするのでしょう。
この世を去る間際の1分間に、
汗水流して虚声を得ようとしてきた人生を悔いるのは、甚だ哀れです。
そこに思いを巡らせられれば、
虚声を得ようとすることの愚かさに気づくはずです。
今日の言葉、「君子は一実のみを尊ぶ」というのは、
自らの使命を果たすことを指しているのでしょう。
生きとし生けるものを、最大限この世に生み出し続ける天道。
この天道に従えば、
過去の教訓を学び、今の周囲の状況を良くすることや、
未来の人々の幸福のために手を尽くすことが、自ずと使命として浮かび上がります。
しかし、巷にあふれる雑多で稚拙、陳腐な情報に惑わされ、天道が霞んで見えなくなったなら、虚声を得ようとしたり、ひどい場合には人の道を外れる行為をしたりしてしまいかねません。
天の声を聴き、自らの心の中で、生き抜く価値を創っていくこと、
これがすなわち、人生における営みそのものではないでしょうか。
他人の物差しによる評価などあてにせず、
自分による、自分だけの、自分のための人生、それを生き抜く
かくありたいものです。