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COLUMNSブログ「論語と算盤」

仕事の心得

2021年12月17日

役所などにて別けて取込み居り候処に、無心に何かと用事など申す人これあり候時、多分取合ひ悪しく立腹などする者あり。別けて宜しからざる事なり。左様の時ほど押ししづめ、よき様に取合ひ仕るべき事侍の作法なり。かどがましく取合ひ候は、仲間ちゅうげんなどの出会の様なり。〔聞書第一〕

(役所などにおいて、特別いそがしいときに、それを知らぬ人が来て、何の気なしに用事をいうことがある。そうした場合、応対悪く、腹を立てなどする者があるが、きわめてよろしくないことだ。そのような時にこそ気持ちをおちつけて、行きとどいた応対をすることこそ侍の心得である。ギスギスした応対をするなどは、仲間風情のすることのようである。)

<出典:「葉隠」原著 山本常朝/田代陣基 神子侃編著 徳間書店>

 

 

 

ちょうど先日、役所へある証明書を取りに行ったのですが、

応対そのものはきちんとしてもらえました。

 

ただ、私が待っていることに気付くのに、かなり時間がかかりましたが・・・(笑)。

 

 

 会社においても、社内の対応や来客の応対など、注意しておきたいことです。

 

多忙時に、来客への応対が悪いこと、このことについてその人の気持ちを探ると、

来客応対への優先順位が低いのだろうと想定されます。

 

 

では、その応対者の気持ちの中で優先順位が高いのは何でしょうか。

 

社内での自分の立ち位置でしょうか。

 

 

仮にそうだとして、社内の立ち位置に関心が高いという気持ちは、

どこから湧いてくるのでしょう。

 

ほとんどの社員の意識が、社内を向いているのではないでしょうか。

そういう社風・・・

 

 

これでは、“仕事”になりません。

 

 

 若年層や下位層の意識がそうなってしまうのは、管理職のせいです。

 

管理職自身の目線が内向き、

      例えば、出世したいのか上役におもねる態度、

あるいは変化・変革を面倒がった無難で姑息な対処など、

 

部下は敏感に感じ取るものです。

 

 

 

 先日、ある新聞の回顧録で、管理職になったら鋭さや攻撃は不要であり、反対に包容力や忍耐が必要と考え直したというコメントを目にしました。

 

 

この知見は大切だと感じます。

 

 

 一人のプレイヤーとしての時期なら、聡明才弁の能力が力を発揮します。

 

しかし、人を使う立場になったときには、

磊落豪雄、さらには深沈厚重の人物を目指さねばなりません。

 

(参照・・・2021.11.05 リーダーの見えない働きがあってこそ

 

 

いつまでも、自分の力を誇示したい、

    自分が先頭で引っ張っていきたいという振る舞いは、

 了見の狭さ、人物としての器の小ささの現れであり、

組織に良い影響を与えることはありません。

 

 

 多くの部下に気持ちよく働いてもらうこと、自発的に能力を発揮してもらうこと、

これが実現したら、一人の特異な能力など簡単に超える成果が生まれます。

 

 

 

「いかに人を活かすか」

 

 

リーダーにとって重要な使命です。

 

 

 

 

「平生嫌ひな人をもちゐると云う事こそ手ぎわなり。これ工夫あるべし」

 

(たとえ嫌いな人間でも才能があればそれを活用する。

これが重職たるものの手際である。)

 

<出典:「佐藤一斎『重職心得箇条』を読む」安岡正篤著 致知出版社>

 

 

 

自らの役割・使命を明確化し、他者を活かして、周囲に益する仕事をする。

 

そんな仕事場でありたいものです。